Miyabe_Syouwashi10dai  水爆実験と水爆大怪獣
 インターネットのどこのなんたるサイトか覚えていないのだが、宮部みゆきのインタビュー記事が載っていた。

 平成の時代に起こった凶悪事件について語っているものだった。


 宮部みゆき……

 一度はこの私がお熱を上げ、惚れに惚れた女だ(って失礼な言い方、すいません)。
 が、彼女とは別れた(重ね重ねすいません)。


 けど、小説はもういいけど、なにか彼女が書いた読み物がないか探してみた。

 すると、「昭和史の10大事件」(文春文庫)というのを見つけた。宮部みゆきと半藤一利の対談である。

 もう平成が終わるというときに昭和を振り返るなんて、自分は時代に取り残されている懐古趣味のあるヒトのように思わなくもなかったが、紙の本、電子版とも2018年3月の出版。出版年からすれば、全然新しい。なので、時代の先端を突き進んでいるような気分になって買った。

 この本は2人が選んだ昭和の10の事件について取り上げているが、今日はそのなかの8番目。“第五福竜丸事件と『ゴジラ』”。

 アメリカの水爆実験により第五福竜丸が被爆したのが1954(昭和29)年3月1日。水爆大怪獣の映画「ゴジラ」が公開されたのは11月3日のことである。

 第五福竜丸事件について半藤氏は、“核の力というのは、人間が制御できねえんじゃねえかと、この事件のとき思った。人間が制御できない核の力というものを、具体的に表したのが『ゴジラ』だ”と言っている。


  「音楽もすごい」とみゆきさんも感心
 そのあとの2人のやりとり。


半藤 ……もう一つは、私らみたいに戦争中の廃墟を知っている人間から言わせると、ゴジラが東京に上陸したときと焼野原と、そうなる前の東京の風景がよく出ているんですよ。それは、やっと復興して、銀座でも何でも……。
宮部 にぎやかになってきた。
半藤 要するに戦後日本があそこにあるんですよ。それが木っ端みじんになるんだよね。俺たち復興で一生懸命やっているのに、こんなふうに簡単にまた元へ戻っちゃうのか、と。
宮部 なんだろう?その感じは。
半藤 戦争中そうだったものね。焼け跡で私は「絶対」という言葉を二度と使わないと思ったけど、ほんとに、またここでも絶対はないんだと。一生懸命に復興してきた人間の努力というのが、バーン!と……。
宮部 ゴジラがバンと壊してしまうかもしれない。
半藤 あのニヒリズムは衝撃的でしたね。
宮部 映画監督で脚本家の高橋洋さんが『映画の生体解剖』という対談集の中で語っておられるのですが、1959年生まれの高橋さんが小学校低学年のとき、学校で、みんなで映画館へ行って映画を観た。何を観たかは覚えてないんだけど、さあ帰りましょうというときに、『ゴジラ』の予告編が始まったんだそうです。そうすると子供たちが、みんな足をとめて振り返ってしまう。
半藤 うーん。
宮部 東宝のマークに、ずしんずしんという足音だけが響く、すごいインパクトのある予告編だったそうですね。子供たちは怖くって、あっちこっちで泣き声があがる。先生は慌てて生徒たちを外へ連れ出そうとする。でも、泣いてる子供たちは、泣きながらも予告編が観たくて観たくてしょうがなかったんだ、と。
 だからやっぱり、それぐらい心を揺さぶるものだったんじゃないですかね。今、観たって、すごいですもんね。音楽もすごいし。
半藤 人間の努力というものが、一生懸命ということが、いかに儚いものであるか、という衝撃だったね。
宮部 この映画は残さなきゃいけないと思うんですよ。戦争体験があって戦後にご覧になっている半藤さんの世代や、戦争体験がなくて観ている私たちとか、ハリウッドメイクを観て初めて「あ、ゴジラはそもそもは日本映画なんだ」と知ったという人たちまで、ずうっと観続けなきゃならない映画だと思いますね。


Ifukube100th3 いまさら言うまでもなく、「ゴジラ」の音楽を書いたのは伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)。

 オーケストラ・トリプティークによるアルバム「伊福部昭百年紀Vol.3」には、「ゴジラ」の音楽を組曲にした「ゴジラ」組曲の改訂版が収録されている。

 なんの改訂版かというと、「伊福部昭百年紀Vol.1」に収められている「ゴジラ」組曲の改訂版である(12曲、約18分)。


 指揮は齊藤一郎。合唱は伊福部昭百年紀合唱団。


 2014年ライヴ録音。THREE SHELLS。


Ifukube1984  こちらは作曲者のお墨付き
 ゴジラの音楽だけではないが、編曲にあたって直接伊福部昭がかかわったのが「SF交響ファンタジー」(1983)。
 第1番から第3番まであるが、第1番は冒頭のゴジラ登場のメロディーで瞬時に聴き手を引き込み、そして圧倒する。


 第1番に登場する音楽は、

 ゴジラが出現するときのメロディー → 「ゴジラ」メイン・タイトル → 「キングコング対ゴジラ」メイン・タイトル → 「宇宙大戦争」愛のテーマ → 「フランケンシュタイン対地底怪獣」バラゴンのテーマ → 「三大怪獣・地球最大の決戦」ゴジラとラドンの戦いのテーマ → 「宇宙大戦争」および「怪獣総進撃」のメイン・タイトル(マーチ)。


 いつ聴いても、何歳になっても、降圧剤を飲んでいても、血が騒ぐ音楽だ。


 こちらは、今日は石井眞木/新交響楽団の演奏を。


 1984年ライヴ録音。風樂(キング)。


 ところで、第五福竜丸事件のあと、被爆者のための治療薬としてアメリカが日本に送ってきたのは、アロエ(アロエ・ベラ)だったそうだ。

♪ 作品情報 ♪
【本作品について取り上げた過去の主な記事】
  ゴジラもまた文明の犠牲者である♪伊福部/「ゴジラ」組曲
  伊福部が手がけたのは「モスラ」ではなく「モスラ対ゴジラ」
  特撮&伊福部ファンが陶酔した夜 
  
NEC_0193♪ 作曲家情報 ♪
 

 釧路に生まれるが、小学生のときに父が十勝の音更村(現:音更町)の村長になったため、同村に転居。この地で接したアイヌの文化に影響を受ける。1926年に札幌第二中(現:札幌西高)に入学し、そこでのちに音楽評論家となる三浦淳史と出会う。在学中に独学でヴァイオリンを始め、作曲も行なうようになる。’32年に北海道帝国大学(現:北海道大学)農学部林学実科に入学、'35年に卒業し北海道庁厚岸森林事務所に勤務。ここで「日本狂詩曲」を作曲し、チェレプニン賞に応募して第1位となる。翌年来日したチェレプニンに短期間師事。森林事務所は’40年に退職。'46に映画音楽の仕事の誘いを受け札幌から日光に移る。東京音楽学校(現:東京藝術大学)の作曲科講師にも就任。'47年に「銀嶺の果て」の音楽で映画デビュー。’54年に「ゴジラ」の音楽を担当し、その後多くの映画音楽を作曲。’76年東京音楽大学長に就任。このころから、弟子の芥川也寸志の働きなどから伊福部昭の音楽がコンサートでも取り上げられる機会が増え始める。1983年に「SF交響ファンタジー」を作曲。伊福部のの名前と音楽が広く知れ渡るようになる(写真は音更町の『音和の森』に立つ伊福部昭の碑)。