IchikawaHarukiBon  多くの人が「走れメロス」を読んでいるワケは?
 市川真人著「芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか」(幻冬舎新書:電子版刊行2016.10.4)。

 なかなか奥深く、「へぇ~、日本の文学界ってそういうものななだぁ」と、世の中に多数ある闇の1つを知った気になった。

 このなかで太宰治の「走れメロス」の話が出てくる。

 なんでも、この有名な小説は、“「青春文学ベストテン」などを挙げるとたいがい高い確率で顔を出してくる人気作”なんだそうだ。
 同書でも、「走れメロス」について詳しく『分析』されている(これがまた「な~るほど」なのである。

 唐突ですが、あなたは「走れメロス」を読んだことがあります?

 私はあります。


 ……手軽に持ち運べて、その中に詰まっている物語や知識をいつどこでも楽しむことができるのが、この数百年、「本」が携えてきた性質でした。しかし、そのなかで『走れメロス』は珍しく、読むシチュエーションが限定されている小説なのです。
 その「限定されたシチュエーション」がどこで、どんな状況なのか、みなさんも自分がいつどこで『走れメロス』を初めて(そしておそらくは、多くの場合その一度きり)読んだのか、思い出してみてください。おそらく、その回答はかなりの率で重複しています。とりわけ1960年以降に生まれたひとは、八割がたが同じ答えかもしれません。あなたが初めて『走れメロス』を読んだのは、学校の(それも中学生時代の)教室ではありませんでしたか?


 大当たり!

 そうです。私は教室で読みました。いつも灰色のワイシャツを着て、いつも灰色のズボンを履いていて、いつも脚が短かった、教師っぽくない国語教師の前で読まされた記憶さえもありんす。

 そして、そこが試験範囲になっているテストが終わったあと、私は『走れメロス』は読んでいない。
 つまり、一度きり。多くの人と同じで光栄だ。『メロス』じゃなくて、ビニール袋に入っているのを買った『乱れエロス』は何度も眺めたものですが(ひっどいブスだったなぁ)。


  実はとんでもない身勝手野郎
 著者の調査によると、『走れメロス』が教科書に最初に採用されたのは1956年の中教出版版「国語 総合編 中学校2年上」だそう(2010年時点だと、主要5社の国語教科書のすべてに『走れメロス』は収録されている)。
 
 『走れメロス』が美しき友情の話と誤解されているのは、最初に『走れメロス』を採用した言語学者・時枝誠記監修の中教出版の教科書のせいかも?と著者は推測する。

 メロスの行為が貴く美しい、というミスリードも、この教科書に掲載された「友情や信義を命より大切に思っているけだかい人間がいるのだということを示して、そしてメロスの行為がどんなにりっぱなものか、美しいものか」示そう、という解説文にありそうです。

 この本を読むと、私たちが中学のときに教わったこのようなことが、まさに『ミスリード』であり、メロスってとんでもないやつだということがわかってくるのであった。


ShostakovichSym05Previn プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1983 ソヴィエト)の交響曲第7番嬰ハ短調Op.131青春(The Youth)」(1951-52)。


 1948年の『ジダーノフ批判』によってそれまでの名声をすべて失ったプロコフィエフが、1952年になってようやくいくつかの『迎合作品』を発表し、少しは名誉回復できたことを受け、子供向けのラジオ番組用にと委嘱をされて書かれた作品。

 プロコフィエフ自身がこの曲を、子供だけでなく若者にたちにも訴えかけられると「青春の贈り物」と呼んだことからこの名があるが、現在はあまりこのタイトルが付されることはないようだ。


 そしてまた、子供向け、若者向けにしてはずいぶんとしぶい曲である。


 プレヴィン/ロンドン交響楽団の演奏を。


 1977年録音。EMI(EMI x Tower Records/Excellent Collection)。


  彼がラーメンを受けつけないワケは?
 ところで、村上春樹はラーメンが嫌いだという(「夜のくもざる―村上朝日堂短篇小説」新潮文庫)。

 市川氏のこの本のなかでは、オランダ生まれのジャーナリスト、イアン・ブルマ氏が『よじまき鳥クロニクル』の刊行を期に村上春樹にインタビューした、次の文が紹介されている。

 村上は自分の父親について話しはじめた。父親とは今では疎遠になっており、滅多に会うこともないということだった。(…)村上は子供の頃に一度、父親がドキッとするような中国での経験を語ってくれたのを覚えている。その話がどういうものだったかは記憶にない。(…)「聞きたくなかった」と彼は言った。「父にとっても心の傷であるに違いない。だから僕にとっても心の傷なのだ。父とはうまくいっていない。子供を作らないのはそのせいかも知れない。


 そして、このインタヴューに続けて


 ひょっとすると、それが原因でいまだに中華料理が食べられないのかも知れない


という、村上春樹の言葉を載せている。

 ラーメンは日本の料理だ!と主張する人もいるかも知れないが、それはともかくとして、中華料理が食べられないほどの出来事って、春樹氏は何を聞かされたのだろう。

♪ 作品情報 ♪
【初演】 1952年・モスクワ
【構成】 4楽章(約32分)。終楽章終結部には2つの版がある。
【編成】
 orch(picc 1, fl 2, ob 2, E-H, cl 2, b-cl , fg 2, hrn 4, trp 3, trb 3, tuba, timp,打楽器各種, p, hp, Str)
【本作品について取り上げた過去の記事】
  小澤征爾の“青春”
  ちんちんしてぇ~♪プロコフィエフの「青春交響曲」
    
Prokofiev♪ 作曲家情報 ♪
 

 帝政ロシア末期のロシア・モダニズムから、ソ連の社会主義リアリズムの時代にわたる長期の作曲活動によって、20世紀を代表する作曲家の一人。ペテルブルク音楽院でリムスキー=コルサコフに作曲を学び、在学中より〈現代音楽の夕べ〉というモダニストのグループに属して、ストラヴィンスキーに続くロシア近代音楽の巨匠となる。ロシア革命後、アメリカ、西ヨーロッパで活躍したが、1933年祖国に復帰。従来の前衛的なものから、ソ連の現状に合った大衆的方向に修正、明快で新鮮な作風をつくりあげた。 (井上和男編著「クラシック音楽作品名辞典」(三省堂)による)