DECCAの音源はLONDONの名で売られていた
今日も『レコード芸術」12月号の話。
この号を買う動機の1つとなった連載記事の“レコード誕生物語「伊福部昭の芸術:管弦楽曲集」”について。
伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の音楽がメジャーになり始めたのは1980年ころのことだ。
そのきっかけとなった最も大きな出来事は、おそらく1979年の「ラウダ・コンチェルタータ」の初演だろう(私は83年1月の札響定期でこの曲を聴き、音楽面では後にも先にもいまだそれを超えることのない人生最大の衝撃を受けた)。
そのころ、そしてその後は、氏の作品のライヴ録音LPが世に出るようになったが、ほんの数点。いまとはまったく比較にならないくらいその数は少なかったのだ。
そんなときにキングレコードが、セッション録音による伊福部昭のシリーズを世に出し始めた。1995年のことだ(もう23年も経ったとは!)。
ちょうどその頃、同社のクラシック音楽部門は大きな転換期を迎えていた。“ロンドン・レーベル”としてライセンス販売していた英国デッカの音源の契約が切れ、クラシック音楽部門を存続させるためには、自社で権利を持つ原盤を制作してゆくことが必要になる。その人材として採用されたのが松下(久昭ディレクター)だったわけだ。
「入社したときから“何かを作りあげてゆかなければならない”という使命感を叩きこまれていましたが、たんに自分の好きなものをやればいいというわけでもない。社会的に意味があるもの、音楽業界で注目されるもの、そして広く聴かれるものを作らなければならない」
あれこれ企画を練っているなかで脳裏に浮かんできたのが、伊福部昭作品のレコーディングだった。なにしろ当時、戦後の長い冷遇を越えてリヴァイヴァルが始まっていた伊福部作品は、数々の熱烈なライヴ録音で聴かれることはあっても、丁寧なセッション録音で味わうことは代表作ですら叶わなかった。「日本人作曲家を日本人演奏家が演奏し、世界へ発信してゆく」という意義は大きい。
「とはいえオーケストラのレコーディングには大変なお金がかかるので、社内で予算を確保するのは簡単ではない。最初に会議に出した時は『採算がとれるわけがない』『頭がおかしくなったのか』と言われました(笑)。でも僕も若かったし、どうしても実現したいと考えて2つのポイントを挙げたんです」…… (続きは『レコ芸』を買って読んでね!)
録音は1995年8月にスタート。
11月に発売されたシリーズ最初の4タイトルは、
……1週間も経たずに店頭在庫が消え、「ひと月もしないうちに、4タイトル合わせて1万6千枚を越えた」という大ヒットを飛ばすことになった。
のだった。
音塊だったものが見通しよく……
シリーズ第1号の『譚』と名づけられたアルバムには「日本狂詩曲」「土俗的三連画」「交響譚詩」が収められた。
演奏は広上淳一/日本フィルハーモニー交響楽団。
最初にこのアルバムの「日本狂詩曲」を聴いたときは、「もっと激しくしてぇ~!そんなんじゃものたりないわ!」と感じたものだ。
しかし録音には作曲者も立ち会っているわけだから、これが作曲者が考えた姿に近いはず。
きっと、私がそれまで聴いていたライヴ盤(山田一和/新星日響:1980年ライヴ。fontec)が、過燃焼だったってことだろう。
その後「日本狂詩曲」もほかの別の演奏でも聴けるようになったが、山田ほど爆々しているのはないし……
