昨日でブログ・ランキングのサイトの1つ『blogram』(運営は株式会社きざしカンパニー)がサービスを終了した、させた、せざるを得なくなった(?)。
私は10月の中旬にサイドバーに貼ったblogramのバナー(投票ボタン)とブログ内容の成分分析結果を表示するパーツの『グーバーウォーク』を撤去したが、それからというもの、当ブログへの訪問者数が半減した。
なにか世間に嫌われるようなことをしたか、胸に手を当てて考えてみたが、心当たりはない。
ということは、バナーやパーツをはずしたことで、それまでblogram経由でアクセスしてくれていた人が、私を見捨て、そのあとはきれいさっぱりここの存在を忘れてしまったということが考えられる。戻ってこないなんて、鮭にも劣る!
逆に言えば、それだけ私はblogramの恩恵を授かっていたということだ。
たまったポイントをAmazonのギフト券に交換できなくなるなんてけしからんなどと、数年前に文句を書き連ねて申し訳なかった。 合理化作戦失敗!
終了といえば、先日ダイエー(北海道民ならばダイエーなどもうこの世にないと思っているだろうが、そこは関西。ダイエーは残っているのである)に行くと、1か月ほど前に導入されたセルフ会計精算機が無くなっていた。
セルフ会計精算機と書いたが、正式な名称は知らない。
要するにセミセルフ・レジである。商品のバーコードの読み取りは従来通り店員さんがやるが、そのあとは「〇番の精算機へどうぞ」と言われ、指定された番号の機械に行って、いくつかの操作をして会計するのだ。
いくつかの操作というのは、現金払いかクレジットか、イオンのポイントを使うか使わないか、使うとしたら何ポイント使うか、ということを画面をタッチして客自身が行なう。
3台ほど導入されたそれが無くなっていたのである。
いや、最初は気づかなかった。レジの女性店員が「〇〇〇円です」と言ったので、そこで気づいたのだ。後ろに次の客がいなかったので、ここは絶好のチャンスとばかり尋ねてみた。
「セルフ会計の機械、なくなったんですか?」
「はい。いろいろ操作するんがメンドーだってみなさんにたいそう評判が悪くって。試験的に入れてみたけどもう撤去しました」
と言って、店員さんは苦笑いした。前歯の1本が半分欠けていた。
試験的とはいえ、わずか1か月ほどで撤去された精算機。まっ、確かにめんどうだわ。
スキャンして、そのまま会計を済ます方が合理的だもの。
浮気している間に姿を消した
1か月で姿を消したと言えば、LAWSONのあの『関西満彩幕の内』(498円)もそうである。
幕の内としては価格のわりに充実しており、私は馬鹿の一つ覚えのように新発売のときに4回続けて買ったほどだ。なのに、ちょっと浮気をしている間に姿を消してしまった。もうLAWSONのホームページにも載っていない。
コストが合わなかったのだろうか?あるいは奈良漬の在庫が底をついたのだろうか?食べるのがメンドーだっていうクレームでもあったのだろうか?
彩ちゃんにもう会えないことを嘆きつつも、LAWSONの新発売弁当2種を食べてみた。
ともに『秋』仕様の弁当だ。
先日は『これが幕の内弁当』っていう、上から目線の主張をしている弁当を買った。
この紅鮭はおいしかった。お伊勢焼きではないようだ。あの蒸した魚の変な味がしない。塩加減もちょうどよい。ただ、550円はなぁ。鮭以外のおかずも、もう少し充実していればいいんだけど。
また、『秋鮭ご飯の幕の内(もろみチキン)』(498円)は、その秋鮭がいわゆるフレークで、「まっ、こんなもんか」ってなものだった。かき揚げはほとんど自己の存在を恥じていたし。

FM東京開局15周年記念として4人の作曲家に委嘱された合作・交響組曲「東京」の第3楽章である。
ほかの作曲家は、外山雄三(第1楽章「こもりうた」)、三枝成彰(第2楽章「Summer」)、芥川也寸志(第4楽章「Allegro Ostinato」)。
石井は「秋のヴァリアンテ」について、こう書いている。
私は今回、西洋音楽の流れの内で〈秋〉-晩年-というイメージを感ずる、ある西洋音楽史の一時期(19世紀後半~20世紀初頭)の〈様式〉を借用し、短い曲を書きそれを現代的に変形するという手法で、〈東京の秋〉をイメージする曲を創ろうと図った。
〈秋のヴァリアンテ〉では、〈主部〉は〈変形〉の内に埋没しているが、曲の最後に、そのほぼ全貌が現われる。
石井眞木/東京都交響楽団の演奏を。
1986年録音。ソニークラシカル。
今日、私は旭川からJRで岩見沢へ向かう予定。関心ないでしょうけど。
はい、セミセルフの方が滞留してました。
MUUSAN
が
しました