1993年4月の第346回定期(オール・ショスタコ・プロ)のあとに私が行った札響の演奏会は、9月の第350回。
マルク・アルブレヒトの指揮で、メインはマーラーの第1番だった。
良くも悪くもフツーの演奏。
それよりもファゴットのトルコヴィッチを迎えてのウェーバーのファゴット協奏曲ヘ長調が心踊らされるような演奏で楽しめた。アンコールのウェーバーの「ロンドJ.158」からの一部も素敵だった。
フランス的=物足りなさも……
翌10月は、なんとジャン・フルネが指揮台に。
オール・フランスもののプログラム。
ドビュッシーの「海」にしろ、サン=サーンスの交響曲第3番にしろ、力で押してくるようなところがまったくなく、フランスの本場の鳴らせ方ってこういうもんなんだなと、感心させられた。
札響らしくない出来
年が明けて、1994年1月から3月は北海道厚生年金会館が改修工事のため、会場は札幌市民会館に。
1月の第354回は手塚幸紀の指揮で、メインはショスタコーヴィチの交響曲第6番。
後日、FM北海道で放送されたものをエアチェックして聴いたが、会場で聴いた時よりも響きが全然密ではなかった。残念であった。
って、今回は「感動史」になってないな……
ドビュッシー(Claude-Achille Debussy 1862-1918 フランス)の「海-3つの交響的スケッチ(La mer - 3 Esquisses symphoniques)」(1903-05)。
印象主義音楽の管弦楽作品の代表的な傑作。
そして今日は、上に書いた私の『感心』とは矛盾する演奏を。
シルヴェストリ/パリ音楽院管弦楽団によるものだ。
許光俊と鈴木淳史の「クラシックCD名盤バトル」(洋泉社新書)で、許氏はこの演奏についてこう書いている。
……ひとことで言うなら、まるで《禿山の一夜》のような《海》である(おもわず笑)。フランスのオーケストラでも指揮者によってはこんな演奏になるのかと肝をつぶすはずだ。音色や音の動きが鋭角的なのである。もったいぶらずにスパスパと行くので、真夏のラムネのように爽快である。-(中略)-まるで雪の舞う冬の日本海、正月恒例、男子総フンドシで寒中水泳、ヨシおれもやるぞみたいハイぶりなのだ。おそらく、名人揃いのパリ音楽院管が、暴れていいよと言われて大喜びで遊んだのであろう。いわば印象派ではなく野獣派的《海》である。この魅力は独特だ。
許氏の書いていることはウソではない。ちょっと大盛りって気はするが……
ただ、まったくもって、いつもの「海」の印象ががらりと変わる「海」である。
1958年録音。EMI。
仮に私がその高校を受験しても、私もその学校には受からなかったでしょうが、ふんどしじゃなくても遠泳があるということで敬遠です。泳げないので。
許氏はの文章はおもしろいです。かつての大御所のような音楽評論とは全く違います。