帯広を出発し、途中いくつかの取引先に立ち寄り、伊福部昭ゆかりの地・音更町を抜け北見へ向かう。
途中、道の駅『ピア21しほろ』で休憩。
2年前に『ピア21しほろ』に昼食のために寄ったときにはまだ昔の建物。去年の春に移転リニューアルしたそうですっかりきれいになった。
ほかの人たちがコーヒーゼリーやソフトクリームを食べているのを横目に、私はある目的のものを。
見知らぬ瀬口さん、ありがとう!
それは口に入れると歯が折れるもの。十勝石(黒曜石。obsidian)である。ここに原石が売られているという情報を得ていたのだ。
小学生時代に浦河町に住んでいた私にとって、ほかの子どもたち同様、十勝石は宝物のような存在だった。だが、見つけられるのは爪の大きさにも満たない小さな、それも薄っぺらいもの。ある程度大きい十勝石が欲しくてしょうがなかった。
そんな少年期のトラウマからか十勝石にはいまでも魅力を感じる。ただ帯広に住んでいるときには、産地に住んでいるということをすっかり忘れていた。唯一、あるとき上士幌町で開かれたイベントで特別に開放していた未舗装の私有地が臨時の駐車場になっていて、そこに玉子大の十勝石が落ちていた。帰りに拾おうと思ったのに忘れてしまい、それがいまでも惜しまれれる。
『ピア21しほろ』の売店には大小の十勝石の原石と、十勝石の加工品が売られていた。小ぶりの玉子ほどの大きさのものは200円(!)。それよりも2回りほど大きいものは500円である。
私は小さいのを2つ買ったが、1つはふつうの黒色の十勝石、もう1つはオレンジ色の斑が入った紅十勝石である(といっても割ってみたわけではないので、あくまで外観からの推定)。
瀬口さん、ありがとう。お疲れ様です。
なぜ大きいのを買わなかったかって?
実は前日にもっと大きな原石を買っていたのである。それが“ある買い物”だったのだ。
店員さんの応用動作に「ありがとう!」
帯広の駅前通りにある“おみやげ 十勝石”と書かれた年季の入った看板があるビル。
この看板は住んでいたときから目にしていたが、ビルの中に入ったことはなかった。しかも路面店ではなく、ビルの上階にあるのである。
恐る恐るエレベーターに乗りその階に行くと、店はおみやげ屋専門ではなく別な業態の事務所も兼ね備えていた。それでも十勝石の加工品や熊の木彫りなど木工品が置かれていた。
原石はいくつか展示されていたが売り物ではない。他に客はまったくいない。なので、以下のようにいろいろと話(交渉)をすることができた。
店の女性が「何かお探しですか?」と言う。
「十勝石の、こういう加工品ではなく、原石はないですか?」
「磨いたり彫ったりする前の石、ですか?」
「そうです」
「それならここにありますけど……」と、段ボール箱を持って来てくれた。中には1つ1つ新聞紙にくるんだ野球の軟式ボールぐらいの大きさの原石が10個ほど入っていた。
「これを買いたいと言ったら売ってくれますか?」
「これを、ですか?ただの石っころですよ。とても売るなんてことは……」
「いえ、なかなか手に入らないんです。1個1000円じゃ安すぎますか?」
「センエン!ただの石ですよ。そんなにもらえるわけないじゃないですか!いや、こんな石でお金をもらうなんて恐ろしい。う~ん、ちょっと待ってください」
彼女は常務さんだかに電話してくれた。譲ってほしいという人がいる。渡していいものか?そんなことを聞いている。
常務さんは快諾してくれたようで、こうして(いくら払ったかは言わないが)売ってもらうことができた。感謝、感謝である。
購入したのは2つ。1つはふつうの漆黒の十勝石。もう1つは赤い模様が入った紅十勝石(マホガニーオブシディアン)だと思われる。
士幌で買ったもの(前列)と仲良く一緒に撮影。
彼女が言うには、社長の家の物置には十勝石の原石がもっと多く保管されているという。もちろんそれを加工して売るのである。ただ、十勝石を専門に採取する人がいなくなり、社長が自ら拾いに行っているそうだ。帯広市内は河川が整備されて十勝石は見つからないが、上士幌の方に行くとまだあるそう。彼女の感覚からすれば、探す手間はかかっているものの、ただで拾ってきた石を売るなんてとんでもない。加工して付加価値がついてはじめて対価が生じるというものなのだ。
考えてみれば私の言っていることは、彼女にとってみれば「熊の木彫りを造る前の丸太を売ってください」というのと一緒なのだろう。
自分で買っておいて言うのもなんだが、この店にとっては“材料”である原石を求める人が殺到しては困るので、名前と購入価格は書かないでおく。『ピア21』では売ってるわけだし。
ちなみにいままで私が持っていた十勝石はこれ。小学生のときにこのぐらい大きな十勝石を持っていたらみんなにたいそう自慢できただろう。
さて、上士幌町、足寄町と進み、昼食は陸別町の秦食堂。なつかしい。
なんとなくカレーライスが食べたかったのでカレーを頼んだが、やっぱりそば(天かしわ)にするべきだったとそのあと数時間悔やまれた。
そのあとは訓子府町を抜け北見市内の取引先を訪問。出張2日目もあっという間に終わった。
そしてかばんはひどく重みを増した。
内輪もめでシャッター上がらず
そうそう、かつて妻と行った焼肉店のシャッターが下りたままだった。
地元の人によると、味も良くて人気店だったが、経営についての内輪もめで閉店したそうだ。
伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「帯広市市歌」(1952)と「音更町町歌」(1970)。
根岸一郎(バリトン)と河内春香(ピアノ)の演奏で。
2016年録音。スリーシェルズ。
なおこの日の夕方、北見支社にいるオディール・ホッキーさんと一瞬顔をあわせることができた。
ゆっくり話せなかったので、オブシディアン(つまりは十勝石)をゲットした自慢話はできなかったのが残念だ。
それにしても、帯広に住んでいるときに上士幌あたりの河原に十勝石採取に出かければよかったと、いまになって思う。
きっと楽しいに違いない。でも熊に遭遇したらイヤだな……
はい、十勝石=黒曜石です。今回勝った原石も割ってみたくてしょうがない私です。あのごつごつしたままだったら、ガラス質の美しさがわからないですから。