最後は冷え切っていたシュヴァルツとの関係
P.シュヴァルツが常任指揮者を務めた1970年から75年について、中川原氏は“札響の充電期”と書いている。
しかし、札響のレベルを向上させていたシュヴァルツの名は首都圏でも知られるようになり、シュヴァルツも東京に居を移した。東京に目を向けるようになったシュヴァルツと札響の関係は、札響の常任指揮者としての活動にも支障が出たことで終焉を迎えたのだった。
私が最初に札響定期を聴いたのは1973年12月のこと(第133回)。つまり、シュヴァルツ時代の最後の1年半ほどしか知らないが、前にも書いたように、中学生の、しかもクラシック音楽を聴くようになってそんなに時間が経っていないこの私でさえプログラムにバラエティーさがないなと感じたものだ。
荒谷を迎えたときとの差
そのシュヴァルツが16年ぶりに私たちの前に姿を現した。1991年9月6日の第328回定期。この日は札響の30歳の誕生日だった。
ブルックナーの交響曲第8番という巨大なこの曲を、立派に演奏してくれた。
壮大、雄大な演奏だったと言ってよいだろう。
しかし、私にはオーケストラと指揮者の間に心が通っているようには思えなかった。
聴衆も、かつて札響を熱心に育ててくれたシュヴァルツに温かい拍手をおくったかというと、必ずしもそうではなかったと思う(シュヴァルツって誰?って人も少なくなかったかもしれない)。
私はというと、シュヴァルツには「札幌から東京に心移りした人」という思いが残っていた。同じように思っていた人もいたのではないだろうか?
第134回定期や第300,301回定期で初代指揮者の荒谷正雄が指揮台に立ったときのような「お帰りなさい!」という空気は会場になかった。
個人的には、なんだかあと味の良くないコンサートだった。
ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第8番ハ短調WAB.108(1884-87/改訂'89-90)をノヴァーク版使用のヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデンの演奏で(1889-90年ノヴァーク版第2稿)。
1976年録音。ワーナー。
シュヴァルツは1998年2月に亡くなった。