前年比250%
1991年の札響の定期演奏会。私は前年より多い、5公演に足を運んでいる。
多いたってそれでもたった5回といえば5回だが、前年の2回と比べると2.5倍である。
生活環境は前の年から大きく変わっていない。
仕事(部署)は同じだし、子どもは0歳から1歳になった(より人間らしく、かわいくなったと記憶している)。にもかかわらず回数が増えたのは、「なんとしても聴いておかねば」という魅力的なプログラムが多かったためだ。
ちなみに1991年は札幌交響楽団創立30周年の記念すべき年だった。
惜しくも北海道初演は先を越されたが
4月の第324回定期演奏会の指揮台に立ったのは秋山和慶。
ソリストは、録音も多く名の知れたピアニストのジャン=フィリップ・コラール。
が、なんといってもこの日のお目当てはメイン・プログラム。
ふだんはあまり生で聴けない曲を精力的に取り上げてくれてきた秋山和慶がまたまたやってくれた!
ストラヴィンスキーの「春の祭典」である。
もちろん札響としては初。
北海道で演奏されるのも初、と言いたいところだが、前年のPMFでM.T.トーマス/ロンドン交響楽団が北海道初演をしている。
PMFでの「春の祭典」は私も聴いたが、札幌市民会館のステージからはみださんばかりの大編成の光景が圧巻だった(なお、不思議なことに2年目となる91年には、私は1度もPMFを聴きに行っていない)。
だが、札響ファンの私にとっては札響が「春の祭典」をやるということに価値があったし、札響の「春の祭典」の演奏を聴けることこそが大いなる喜びだった。
札響は(もはや現代の古典と言われて久しいが)この複雑な難曲を、秋山のタクトのもと、みごとにやってのけた。
感動ひとしおであった。
指揮者が盛り上がりに水を差す?
翌5月には定期演奏会には行っていないものの、30周年にちなんだ特別演奏会を聴いている。
指揮は小松一彦。
伊福部昭の「シンフォニア・タプカータ」が聴けるというので、こどもの日の振替休日の昼間っから、妻とおさな子を家に残し出かけたのだった。
チラシには交響曲「タプカーラ」とあるが、当時は「シンフォニア・タプカーラ」よりも「タプカーラ交響曲」と表記される方が多かった(交響曲「タプカーラ」ってのはほかに見たことがない)。
また、間宮の作品名が「オーケストラのためのタブロー」となっているが、間宮にはこの時点で「タブロー」なる作品が3つあった。
「
さらに言えば、早坂の作品名は正しくは「序曲ニ調」である。あの本のような、こういう間違いはいただけない(黒く塗りつぶしてあるところを透かしてみたら、“ワインガルトナー賞受賞作品”と印刷されていた)。
小松の棒から出てくるオーケストラの音楽は、やっぱり面白くない。
エネルギーも中途半端だし、情緒もない。わざと感情を抑えているのか?って感じで、こっちも冷めてくる。
しかも「タプカーラ」では最後の方でトランペットの1人が(たぶん1小節分)ズレて(早く出走)そのまま気づかず最後まで暴走。やれやれであった(でも、ここまでひどいミスを札響で経験したのは、後にも先にもこのときだけだ)。
それでもこの日初めて聴く間宮の「タブロー'85」の響きには魅せられ、その後、氏の作品をいくつか聴くきっかけとなった。
次に足を運んだ演奏会は7月の第327回定期だが、これはほとんど印象に残っていない。
そして9月の第328回。
1975年に札響の常任指揮者の務めを終えて帰国した、P.シュヴァルツの登場である(その話は次回)。
和洋融合の浮遊感
間宮芳生(Mamiya,Michio 1929- 北海道)の「オーケストラのための『タブロー'85』」(1985)。
ここに書いたように、色彩的だがほの暗い、(私の感覚では)お盆のころの墓参りを連想するような雰囲気をもっている。
また、ストラヴィンスキーっぽいところもある。
井上道義/東京都交響楽団の演奏で聴くことができる。
1996年ライヴ録音。フォンテック。
それはすごい体験ですね。でも、だからこそ曲どころではなかったのかも。Atsushiさんとは、私もいろんな機会に同じ空気を吸っているのですね。