
小学生のころ学研の『科学』を定期購読していた。あの『学習と科学』(低学年のときは『がくしゅう』『かがく』だったかもしれない)である。
もちろん私は『科学』である。
はっきり言って『学習』を買っているやつ-女の子に多かったが-の気が知れなかった。
書名からして、この本はおもしろくないですよ、と宣言しているようなものではないか!それならいっそのこと『非科学』にすればよいではないか!
ただ、悔しいことになんとなく『学習』派の方が、クラスでも成績が良かったような気がする。
私は『科学』の付録-リトマス試験紙セットやシーモンキー飼育キットなど-で、科学、とりわけ化学が好きになった。
なお、当時は《ガッケンのおばちゃん》なる職業婦人はいなかったように思う。
「まだかな、まだかなぁ~、ガッケンのおばちゃんまだかなぁ~」と待ち遠しく感じたことがないからだ。
そもそも『科学』も『学習』も学校にまとめて届き、教室で配られたのだった。
試しにちょっと置いていきます
さらに親に買い与えられた図鑑。
当時浦河には『かづさや書店』という本屋があり(いまでもあるようだ)、そこは住んでいた地区からは離れていたのだが、おじさんがバイクで本を配達してくれていた。
そのおじさんがなかなか営業上手で、新しく出版された図鑑などを持って来て、「これはお子さんが将来ご立派になるために必ずや役立つものです」というようなことをたぶん言って、「置いていきますから試しに読んで検討してみてください」と数日間貸し出していくのである。
その間、私はページをめくってみるのだが、新品の本を触った段階で-特にあの当時は-キズものにしたような気になって、つまりはおじさんの思惑通り数日後にはそのサンプルがご購入済みとなり、以後、毎月続刊が届けられるということになるのだ。
誰も開くこともなくウチの本棚に奉納されていた『リーダース・ダイジェスト』の仰々しい写真集も、あのおじさんの貸し出し商法によって購入したものだった。
バイクに乗った救世主
しかし、私はあのおじさんが好きだった。
というのも、ある日自転車に乗っていて道ばたのドブ(当時は下水が完備されてなく、いまの割り箸につまようじのように、道路わきにドブは当たり前のようにあった。もちろん流れている、いや澱んでいるのはどんな邪悪なものが生息しているのか見当もつかない汚泥である)に落ちてしまったのだが、その私を救い上げてくれたのが、たまたま本を配達中で通りかかったこのおじさんだったのだ。
それにしても、当時は内風呂などない家に住んでいたのに、泥まみれで異臭を放つ私は、どうやって体を清浄化したのだろう?
話が澱んでしまったが、その20巻くらいの図鑑のなかの理科系の数巻に載っていた、鉱物や化石の写真に魅せられ、硫酸銅や重クロム酸カリウムの結晶の写真に恍惚になり、緑の波線が表示されたオシロスコープの写真を見て使うめどもないのに「これ、ほしい!」と思い、要するに将来は科学者になりたいと思うくらいの科学好きになったのである。私は。
ノーノ(Luigi Nono 1924-90 イタリア)の「力と光と波のように(Como una ola de fuerza y luz)」(1971-72)。
ソプラノ独唱(詩はロルカ)とピアノ、管弦楽とテープのための音楽だが、バカかってぐらいの大音響大爆発、ビッグバン級である。
破滅的気分になりたいときには、この音の暴力に無抵抗のまま過ごすといいだろう。
破滅的に死んだケーゲルが指揮するライプツィヒ放送交響楽団、ラインハルト=キス(S)、リカータ(p)の演奏を。
1976年録音。ドイツ・シャルプラッテン。
さて、今日の私は何を言いたいかって?
破滅したいわけでも、ドブの臭いを懐かしがっているわけでもない。
この話、一応は私の『ストーン・ラヴ』にまつわる話の一環である。
ほれ、見てみたまえ!
東急ハンズで買った『紫水晶』の、小動物の肝臓のような美しさを!
『蛍石』のハッカ樹氷のようなさわやかさを!
実はシーモンキーを見たことがない私
あれっ?『科学』にはシーモンキーはなかったか?
シーモンキーは『少年ジャンプ』の裏表紙のまつみ商会の広告に載ってたんだっけか?
私はその広告を見ただけかも。
だって、シーモンキーを飼育した記憶がゼロだもの。
『科学』も『学習』も廃刊となった。
こんなんだから日本の科学力が弱るのだ。日本人の学習能力が伸び悩むのだ。
ところで、オシロスコープに表示されていた波形は美しかったが、高校生になって数学で三角関数が出てきたときに、私は波形なるものが嫌いになった。
日本の科学力に向上にまったく寄与しなくてごめんなさい。
写真のために赤っぽくなっていますが、実物はもう少し青が強い石で、紫水晶です。
幻灯機!懐かしい!
いまや死語ですね。