
私が40年来座右の書としているハロルド・C・ショーンバーグの「大作曲家の生涯」(亀井旭/玉木裕共訳:共同通信社)。
そのなかで氏は、グルック(Christoph Willibald Gluck 1714-87 ドイツ)を大作曲家の1人として扱っている。
なぜグルックが?
これは私にとって長らく謎であった(し、いまも腑に落ちたわけではない)。
クラシック音楽ファンの中でも、グルックが好きという人はそうそう多くないだろうし、クラシック愛好家でなければグルックの名前すら知らないかもしれない。
時代的にはJ.S.バッハより29歳若く、ハイドンより18歳年上。バッハの次男、カール・フィリップ・エマヌエルと同い年である。
彼の残した音楽で、唯一しばしば聴く機会があるのは「精霊の踊り」(歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」のなかの1曲)くらいだ。
大作曲家と言えるかどうかは賛否が分かれるだろうが、ショーンバーグは、ホルストやブリテン、レスピーギやハチャトゥリアンなどには章を割いていない。
でも、グルックは単独で一つの章を割いているのだ。
『何か』をしないと大作曲家ではない
そのグルックの章はこう始まる。
クリストフ・ウィリバルト・グルックが歴史的名声を持っている最大の根拠は、オペラに最初の大改革を試みた人物であることである。実際のところ、彼は作曲家としてよりも改革者として、より大きな名声をかち得ている。彼は約50曲のオペラを書いた。そのうち、現在でも上演されているのは『オルフェオとエウリディーチェ』の1曲だけである。
つまり、ショーンバーグは必ずしも人気曲を残した作曲家を大作曲家に位置づけているわけではないのだ。
「何かを残した人物」こそが大作曲家なのだ。だからスクリャービンやブゾーニ、ワイル、サリヴァンやオーベールが取り上げられているというわけだ。
私は、それこそ「精霊の踊り」以外、グルックの曲を聴いたことがなかった。
ところが先日BGMがわりに部屋でインターネットラジオを流していたら-マランツのNA6005はインターネットラジオも聴けるのだ-、なにやら耳に心地よいメロディーが。
NA6005のディスプレイを見ると、『Gluck IPHIGENIE EN AULIDE』の文字がたらたらと根がれて表示されている。
歌劇「オーリードのイフィジェニー(アウリスのイフィゲネイア。Iphigenie en Aulide)」(1774初演)らしい。
そんなわけで、事実上の初グルックにちょっぴり心がときめかされ、このオペラのCDを購入してみた。
あのときと同じ曲……ですよね?
「あれ?魅惑のメロディーが次々と出てきたような気がするけど、それほどでもなかったな」というのが感想。
まあ、たまに上演されることがあっても、「オルフェオとエウリディーチェ」以外はほぼ忘れれているわけだから、それはそうなんだろうと納得。けど納得いかないのは、あのときはもっとワクワクしたのに変だなってこと。
インターネットラジオの曲名が間違っていたってことは……ないよなぁ、そんなこと。
それでも、「おぉ!これは素敵だ」っていうのや、「これとっても心にしみる」ってメロディーもいくつかあって、ちょっぴりグルックに興味を持っているいまの私である(私の好きなベルリオーズは、グルックを崇拝していたという。またヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの父・レオポルトは、息子をグルックに近づけないようにしたそうだ)。
そんでもって、グルックは古典派になるのだろうか?それとも前古典派なのだろうか?(C.P.E.バッハは前古典派)。
今回私が購入したのはガーディナー/リヨン歌劇場管弦楽団、モンテヴェルディ合唱団他による演奏の録音。
1987年録音。エラート。
ショーンバーグはグルックの章をこのようにしめている。
グルックは音楽劇としてのオペラの針路をさだめ、オペラは歌、歌詞、演技、舞踊、舞台を、それぞれほぼ同様の割合で結合した総合芸術であると規定した。こうした役割を果たしたグルックは、まさしくリヒャルト・ワーグナーの精神的な先祖なのである。
やっぱ、すごい人みたい……
CDをリッピングするときにまったく統一性がない情報が表示されるのと根本は同じなんでしょうかね?