岩城が「英雄の生涯」を。今思えば自己を重ね合わせていた?
 前回は1986年12月に首席客演指揮者として秋山和慶が就任したところまで書いた。

 翌1987年で記憶に残っているのは3月の第279回定期。

 指揮は岩城宏之で、R.シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」がメイン。

SSO279th

 おそらく札響が「英雄の生涯」を演奏するのはこのときが初めてだったと思うが、ホール(北海道厚生年金会館)に最初の低弦による音が上昇するメロディーが出てきたときに、「この曲を札響で聴ける日が来るとは」と胸が熱くなった。

  秋山のマニアックシリーズは「エニグマ」
 5月の第281回では秋山が登場。1曲目はチャイコフスキーの「モーツァルティアーナ」、2曲目は同じくチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。そして、メインはエルガーの「エニグマ変奏曲」。

 「モーツァルティアーナ」や「エニグマ変奏曲」のように隠れた名曲を、その後も秋山は積極的に取り上げ、私たちを楽しませてくれると同時に、鑑賞レパートリーを増やしてくれた。

SSO281st

 いまでこそ「エニグマ変奏曲」はポピュラーな作品になっているが、このころはまだまだマイナーな存在だった(「モーツァルティアーナ」では「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618を原曲とした第3曲「祈り」が有名である)。

 6月の第282回はすでに取り上げた。会場が熱狂の渦に巻き込まれたシャローンの指揮によるマーラーの交響曲第5番である。
 翌7月の第283回についてもすでに紹介している

  岩城もマニアックに「風変わりな店」
 9月の第284回は岩城の指揮。
 独奏者に夫人の木村かをりを迎え、あまり演奏される機会のないダンディの「フランスの山人の歌による交響曲」。演奏が悪いのではなく、この曲があまり聴かれることがないのがよく理解できた。美しいが盛り上がらない、かといって心にしみいるような曲かといえばそれでもない作品だ。
 メインはレスピーギの「風変わりな店」。
 これまたまず演奏会のプログラムにのらない作品。だが、私はこの曲がたいへん好きで、これまた生で聴けることに幸せを感じた。ただ、曲の最後で岩城は随分とブレーキを踏んで遅いテンポで進めたのがちょっぴり不満。

 その岩城は、翌10月にメルボルン交響楽団の札幌公演を指揮。
 メインはR.シュトラウスの「アルプス交響曲」。パワーあふれる演奏だったが、オケとしてすごくレベルが高いとまでは感じなかった。

 札響に話を戻すと、12月の第287回では山下一史の指揮で、私の大好物のベルリオーズの幻想交響曲を演ったが、ほとんど印象に残っていない。

  岩城、事実上退任
 さて、年が明けた1988年。
 この年の4月に音楽監督・岩城宏之は桂冠指揮者となった。札幌市教育委員会編「さっぽろ文庫57 札幌と音楽」(北海道新聞社)にれば、岩城は『事実上退任である』。

 そのあとは首席客演指揮者だった秋山と3人の専属指揮者が就任した。
 同書はこう書いている。

SakkyoSenzokuCond その後を引き受けたのは秋山和慶と三人の指揮者である。秋山は小沢征爾と共に世界に通ずる日本の指揮者の一人であるが札響にもしばしば客演しており、楽員や聴衆の受けもよかった。秋山はミュージックアドヴァイザー兼首席指揮者という名称で札響の指導を引き受けた。秋山は国内はもとより外国での仕事も多いので、その助けとして同じ斉藤秀雄門下生の堤俊作・小松一彦・高関健の三人を専属指揮者として選任し……

 そこに載っている写真。

 私が企業の採用担当者だったら、採用するのは3人のうちで堤だけだろう。見た目だけで言えば、だけど。

 こうして、札響は新たな時代に入った。
 だが私には、専属3人衆はウルトラセブンのカプセル怪獣のように、心もとなく感じた。

Heldenleben  録音が古いもので、細かいところは……
 R.シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949 ドイツ)の交響詩「英雄の生涯(Ein Heldenleben)」Op.40(1897-98)。

 この曲のディスクで初めて買ったのがライナー/シカゴ響のLP。
 ステレオ録音だが、録音年は1954年。

 札響の第279回定期はたぶんライナー以外で私が最初に聴いた「英雄の生涯」だったはずで、もっとも激しい第4部「英雄の戦場」では、「えっ?ここでクラリネットはこんな音を出していたのか!」と発見多数、驚きてんこ盛りだった。

 でも、私の原点とも言うべきライナーの「英雄の生涯」は、いまでもしばしば聴きたくなる。

 レーベルはRCA。

 頭がキノコみたいな高関に、武田鉄矢みたいな小松……

 じゃあ、秋山が若いときはどうだったのかというと、たまたま昨年12月に朝日新聞で秋山の連載記事が載ったので、それをご紹介。

201712AsahiAkiyama

 まるで銀行マンのようにふつうだ。
 昔から、良い意味で指揮者っぽくない指揮者だったのだ。