初・吉松体験
前々回の続きの、1985年4月以降の定期演奏会で印象に残っているのは、9月の第262回。
指揮は井上道義で、この日初めて私は吉松隆の作品を耳にした。曲は「朱鷺によせる哀歌」。
また、メインのメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」も心にしみいる佳演だった。
翌月10月の263回では岩城が「シェエラザード」を振ったが、これはタワレコからCD化されている。
11月の第264回は、ハンス・ワルター・ケンペルが指揮台に。
この人の名は、その前もその後も私は耳にすることはないが、シューベルトの「未完成」とヒンデミットの「ウェーバーの主題による交響的変容」はちょっぴり感動させられた。
年が明け、1986年。
1月の第266回はヤン・クレンツが札響にやって来た。
メインはシューマンの第4番と渋いものだが、札響の響きも低音が充実したシューマンにふさわしい演奏だった。
そこに音符はないはず
3月の第268回は岩城。
プロコフィエフの第5交響曲は、札響にとってこのとき初めて演奏したのではないか。
期待にたがわぬ力演。最後の最後でティンパニの名手・吉田さんが一発誤打したのを私は気づいたが、いいのいいの、全然影響なかったから。
ディーリアスでのあまりに美しい弦の響き
4月の269回は福村芳一。
これまた札響初と思われる、ホルストの「惑星」。
「惑星」には予想通り興奮させられたが、それ以上に1曲目のディーリアスの「イルメリン前奏曲」の弦の美しさに心を奪われた。私がディーリアス・ファンになったきっかけとなった演奏だ。
尾高の名演、そして退任
5月の第270回は尾高忠明。
このマーラーは良い演奏だった。
この曲の、本当はグロだという裏の顔には焦点を当てず、ロマン的なメルヘンチックな従来通りのアプローチだが、大いに楽しめた。
なお、尾高は6月で正指揮者を退任した。
9月、第273回。しばしば札響を訪れていたコシュラーが「ペトルーシュカ」を振った。
特に何かを細工するというものではないが、さすがの安定した演奏。
技術アップを実感
11月は岩城。この第275回で岩城は、正指揮者就任の半年前の第147回以来となるバルトークの「管弦楽のための協奏曲」を取り上げた。
『何が』というのははっきりわからないが、同じ岩城、同じ「オケコン」なのに、精緻さといったものが明らかに向上していた。岩城のトレーニング効果を感じさせるものだった。
岡田博美をソリストに迎えた、リストのピアノ協奏曲第2番も良い演奏。第1番と違い第2番はめったに演奏されないが-私もこのとき初めて聴いた-、曲に、そして演奏に引き込まれた。
秋山登場
そして12月の第276回。
6月の尾高退任のあと、札響の指揮者は音楽監督・岩城宏之の1人体制だったが、12月から秋山和慶が主席客演指揮者に就任した。
この日のプログラムのメインはサン=サーンスの交響曲第3番。
サン=サーンスの第3番はそれまでも何度も札響は取り上げているし、有名な曲ではあるが、ややマニアックであるのも事実。
秋山の就任にふさわしい曲だと思った(漠然と)。
今日はプロコフィエフ(Sergei Sergeevich Prokofiev 1891-1953 ソヴィエト)の交響曲第5番変ロ長調Op.100(1944)。
作品についてはこちらの記事をご覧いただきたいが、プロコフィエフの7つの交響曲のなかでは第1番とともに親しみやすく、また20世紀に書かれた交響曲のなかの傑作の1つである。
P.ヤルヴィ/シンシナティ交響楽団の演奏を。
2007年録音。テラーク。
秋山は小澤征爾や岩城宏之よりも地味な存在で、見た感じもひどく真面目でおとなしそうに見えるのに、その後マニアックな曲-知られざる名曲-を大胆にどんどん取り上げてくれ、私を喜ばせてくれることになる。
さて、転勤に伴い引っ越しすることとなった。
実は今日、引っ越しである(荷物出し)。
引っ越し後、新しい住居にモデムが届くまでインターネット環境にないこととなる(ということは、引っ越し先は自宅ではないということだ)。
その間、まともな記事が投稿できないかもしれないが、ちょっとがまんしなさい(いつもまともじゃないという意見には耳を貸さないこととしているので、ご了承願いたい)。
前々回の続きの、1985年4月以降の定期演奏会で印象に残っているのは、9月の第262回。
指揮は井上道義で、この日初めて私は吉松隆の作品を耳にした。曲は「朱鷺によせる哀歌」。
また、メインのメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」も心にしみいる佳演だった。
翌月10月の263回では岩城が「シェエラザード」を振ったが、これはタワレコからCD化されている。
11月の第264回は、ハンス・ワルター・ケンペルが指揮台に。
この人の名は、その前もその後も私は耳にすることはないが、シューベルトの「未完成」とヒンデミットの「ウェーバーの主題による交響的変容」はちょっぴり感動させられた。
年が明け、1986年。
1月の第266回はヤン・クレンツが札響にやって来た。
メインはシューマンの第4番と渋いものだが、札響の響きも低音が充実したシューマンにふさわしい演奏だった。
そこに音符はないはず
3月の第268回は岩城。
プロコフィエフの第5交響曲は、札響にとってこのとき初めて演奏したのではないか。
期待にたがわぬ力演。最後の最後でティンパニの名手・吉田さんが一発誤打したのを私は気づいたが、いいのいいの、全然影響なかったから。
ディーリアスでのあまりに美しい弦の響き
4月の269回は福村芳一。
これまた札響初と思われる、ホルストの「惑星」。
「惑星」には予想通り興奮させられたが、それ以上に1曲目のディーリアスの「イルメリン前奏曲」の弦の美しさに心を奪われた。私がディーリアス・ファンになったきっかけとなった演奏だ。
尾高の名演、そして退任
5月の第270回は尾高忠明。
このマーラーは良い演奏だった。
この曲の、本当はグロだという裏の顔には焦点を当てず、ロマン的なメルヘンチックな従来通りのアプローチだが、大いに楽しめた。
なお、尾高は6月で正指揮者を退任した。
9月、第273回。しばしば札響を訪れていたコシュラーが「ペトルーシュカ」を振った。
特に何かを細工するというものではないが、さすがの安定した演奏。
技術アップを実感
11月は岩城。この第275回で岩城は、正指揮者就任の半年前の第147回以来となるバルトークの「管弦楽のための協奏曲」を取り上げた。
『何が』というのははっきりわからないが、同じ岩城、同じ「オケコン」なのに、精緻さといったものが明らかに向上していた。岩城のトレーニング効果を感じさせるものだった。
岡田博美をソリストに迎えた、リストのピアノ協奏曲第2番も良い演奏。第1番と違い第2番はめったに演奏されないが-私もこのとき初めて聴いた-、曲に、そして演奏に引き込まれた。
秋山登場
そして12月の第276回。
6月の尾高退任のあと、札響の指揮者は音楽監督・岩城宏之の1人体制だったが、12月から秋山和慶が主席客演指揮者に就任した。
この日のプログラムのメインはサン=サーンスの交響曲第3番。
サン=サーンスの第3番はそれまでも何度も札響は取り上げているし、有名な曲ではあるが、ややマニアックであるのも事実。
秋山の就任にふさわしい曲だと思った(漠然と)。
今日はプロコフィエフ(Sergei Sergeevich Prokofiev 1891-1953 ソヴィエト)の交響曲第5番変ロ長調Op.100(1944)。
作品についてはこちらの記事をご覧いただきたいが、プロコフィエフの7つの交響曲のなかでは第1番とともに親しみやすく、また20世紀に書かれた交響曲のなかの傑作の1つである。
P.ヤルヴィ/シンシナティ交響楽団の演奏を。
2007年録音。テラーク。
秋山は小澤征爾や岩城宏之よりも地味な存在で、見た感じもひどく真面目でおとなしそうに見えるのに、その後マニアックな曲-知られざる名曲-を大胆にどんどん取り上げてくれ、私を喜ばせてくれることになる。
さて、転勤に伴い引っ越しすることとなった。
実は今日、引っ越しである(荷物出し)。
引っ越し後、新しい住居にモデムが届くまでインターネット環境にないこととなる(ということは、引っ越し先は自宅ではないということだ)。
その間、まともな記事が投稿できないかもしれないが、ちょっとがまんしなさい(いつもまともじゃないという意見には耳を貸さないこととしているので、ご了承願いたい)。
そうかもしれないですね。
でも、私が忘れきっているのかもしれないです。