
木曜日と金曜日は名古屋でも雪が降り、日中でも陽があまり当たらないところはアイスバーンのままだった。
まっ、北海道人からしてみればホントに冬のはじめのチョロ降りのようなものなのだが、けど夏靴、夏タイヤだとこんなものなんて言ってられない。
大いに危険である。
そんななか、私は千葉課長や古代課長たちと、かなり体育会系のトップが経営するある取引先に行った。
そこに行く途中、道路がアイスバーンのところがあり、自転車に乗っていた20歳過ぎくらいの男性がスリップ、転倒した。
私たちはそれぞれの頭のなかで、気の毒にとか危ないなとか思った(んだろう)が、声を発するとか嘲笑するなんてことはもちろんしなかった。
危険な男
ところがである。
その後私たちが取引先のビルへと歩いていると、後ろからその男が自転車に乗って私たちの方にやって来て、こちらをにらみ、そして私に向かってぼそっと言った。
「おまえの親戚に言われる筋合いなんてないんだョっ!」
意味不明だ。
私の周りに、亡くなって久しい叔父や叔母が降りて来てるのかと思ってしまった。
そもそもなんで私に向かって言うのか?千葉課長に向かって言えばいいではないか!
あいつは、私がこう見えても、毒物劇物取扱責任者の資格を持っていることを知らないらしい。
その男は方向転換して去った。
だが、それで終わらなかった。
再び後方から自転車に乗ってゆっくりとやって来て、追い抜きざまに「▽#@◆&Д§」と、よく聞き取れなかったが明らかに敵意をもった表情で、ぼそっとこう言って去った。
またも私に向かってだ。古代課長に言えばいいのに、なぜ私なのか不思議だ。
あいつは、私がこう見えても、管理職なのを知らないらしい。
取引先のビルの前に着いたとき、またあの不気味で変なやつが来たら、体育会軍団に応援を頼みボコボコにしてもらおうと思ったが、3度目の接近はなかった。
にしても、あれ、自分1人だったら相当不気味。
なんだかわからんが、怖い世の中だ。
自分が転んだのに、どういう思考回路で、私たちのせいになるのだろう?
モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のノットゥルノ「いまや恐ろしい時が来た(Ecco quel fiero istante)」K.436(1787?)。
2人のソプラノとバスの三重唱曲で、器楽は3本のバセットホルン。
歌詞はP.メタスタージオによる。
私が持っているCDは、2ソプラノとバスではなくソプラノとアルトとバス、また3バセットホルンではなく2クラリネットとバセットホルンという組み合わせのもの。
ソプラノはVries、アルトがSholte、バスがRamselaar。クラリネットはGraafとRijsewijk、バセットホルンはJansen。
2001年録音。ブリリアントクラシックス。
そんな感じじゃなかったけどなぁ。