
モーツァルトには「ランバッハ」という呼ばれる交響曲が2つある。
1つは「旧ランバッハ(Alte Lambacher)」、そしてもう1曲は「新ランバッハ(Neue Lambacher)」。
「ふむふむ。ランバッハってなんのことか知らないけど、先に書かれたものと、それより後になって書かれたものがあるってことね」と思いがちだが、ちと違う(どうでもいいが、私のこれまでの人生で、実際に「ふむふむ」と言う人に出会ったことはない)。
モーツァルトはモーツァルトでも、父と子の2人のモーツァルトがそれぞれ書いた交響曲。それが2つの「ランバッハ」交響曲である。
ランバッハというのは北オーストリアにある村の名前だそうで、モーツァルト一家は旅の途中でこの村の修道院に立ち寄り宿泊した。1767年10月のことである。

ランバッハ村はザルツブルクから80kmほどのところにあるっていうことです。
このときにレオポルトとヴォルフガングのモーツァルト父子は、お礼としてこの修道院にそれぞれの自作の交響曲の写譜(つまり、すでに出来上がっていた曲の楽譜)を贈ったと考えられている。
旧の方に息子の署名あり
20世紀に入り修道院からこの2曲の楽譜が発見された。
「旧ランバッハ」の楽譜の表紙にはヴォルフガング(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の名前が記されており、とすれば当然「新」の方は父親であるレオポルト(Leopold Mozart 1719-87 オーストリア)の作に間違いないということになった。
なお「旧」と「新」がつけられたのは、発見された順だという。
そして、A.アインシュタイン(モーツァルト研究家のアルフレートで、ベロを出しているアルベルトではない)は「旧ランバッハ」にK6.45aという番号を付与した。
一件落着、めでたしめでたし、である。
と思いきや、これに異論を唱えた女性がいた。
アンナさんのコペルニクス的転回
1964年にアンナさん(アンナ・アマリエ・アーベルト)という人が、「いや、違うのよ!『新』の方が息子の作なの。何があったのか知らないけどきっと写譜屋が間違えて表紙を入れ替えてしまったのよ!」という説を唱えた。
もちろん思いつきで叫んだのではない。
彼女は作風や構成を入念に調べ、この結論に到達したのであった。
そして、これを受け「新ランバッハ」がヴォルフガングの作、「旧ランバッハ」が父レオポルトの作と、2つの交響曲の作曲者はそれまでとはまったく逆に位置づけられるようになった。
が、2度あることは3度ある。
音楽学者でモーツァルト研究の第一人者とされるN.ザスローが、「やっぱり『旧ランバッハ』がヴォルフガングの作品である」と提唱したのだ。
その根拠はウィキペディアなどをご覧いただきたいが、「新」と「旧」は再び元に戻ったのである。
「旧」の方が「新」よりも魅力に劣るという思いは私にもあるが、そのことも「旧」は神童ではなく、才能は息子よりも劣る父親の作品であるというアーベルト説に説得力を添えたのだろう。。
だが、父にだって万人に受け入れられている「おもちゃの交響曲」という、硬いこと言わずに聴いてみなしゃんせってな傑作もあるのだ(もっとも、この曲の原曲は現在ではアンゲラーの作とされているが)。
ということで、W.A.モーツァルトの交響曲ト長調K.Anh.221(K6.45a)「旧ランバッハ」(1766)と、L.モーツァルトのシンフォニア ト長調「新ランバッハ交響曲」(1766)。
「旧ランバッハ」の方は、今日のところはアーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの演奏を。
1999-2000年録音。ドイツ・ハルモニア・ムンディ。
「新ランバッハ」の方は、私は1枚しかCDを持っていないので、そのジークハルト/リンツ・ブルックナー管弦楽団の演奏(1997年録音。アルテノヴァ)をお薦めしたい、いやそれしかお薦めできない、お薦めせざるを得ないのだが、恐れていたとおり廃盤。
このディスクに収められていた、息子の交響曲第25番はすごく良い演奏だったんだけどなぁ(←「新ランバッハ」じゃないのかい!)
伝統と革新の教室での融合
ところで、散歩中に見かけた看板。
新と旧、技術と伝統のコラボって感じ(パソコンだってもう「新」じゃないが)。
母と子でやってるのでしょうか?
関係ないが、今日は大阪に出張してくる。