OhguriNAXOS  子どものころトドラのプラモをもっていた私
 「ウルトラマン」より前に制作・放映されていた円谷プロの特撮番組「ウルトラQ」を知っている人ももう少なくなってきているだろう。

 けちけちしたらカネゴンになってしまうとか(だから私は貯金しない主義を貫いている)、灯台に行くとそこには巨大グモが生息していたとか(だから私は灯台守になるのを断念した)、雲の上にはトドラがいるとか(だから飛行機に乗るたびにトドラに衝突しないか心配になる)、蝶を採取しに行くと鱗粉で巨人になってしまうとか(だから昆虫は嫌いだ)、酔っ払って電車に乗るとドアが開かなくなるとか(だから酔っていても無人の電車には乗り込まないようにしている。それはきっと回送車だし)、夜中に線路を2人に分身した少女が歩いているとか(だから夜中に線路に近づかないようにしている)、真珠が熱で大きくなり中からナメゴンが生まれてくるとか(だから真珠を焙ったことはない)、人間の大きさが8分の1になってしまうとか(だからそういう人がいないか常に足元には気を付けている)、とにかく毎週毎週、純情な私をナマハゲの襲来のように恐怖に陥れたものだ。

  ガッツ石松顔の人工生命
 「地底超特急西へ」という回では、東京から北九州に向かう試運転の超特急に、輸送のためボンベの中に圧縮して詰め込まれた人工生命M1号が乗せられたが、走行中に細胞分裂しだし、人工生命というイメージとはほど遠いぶさいくなゴリラの姿になる。そして人工生命のイメージにはほど遠いおバカな動きで、挙句の果てに超特急の運転台を壊してしまう。そのため機関車は暴走し、車止めも役に立たず大爆発。
 爆発の威力で人工生命M1号は大気圏外まで吹き飛ばされる。宇宙でM1号は最後に「私はカモメ」と言う(その声が、妙にゴリラ顔にマッチしていなかった)。

 M1号は西を通り越して大気圏外へと行ってしまったが、MUUSANは西の都に行くことになった。

  新任地は大阪
 そう、転勤先は大阪。二度目の大阪勤務である。

 「二度目?ブログでその当時の話を読んだ記憶がないけど……」

 そう思ったあなたは正しい。
 私がブログを始めたのは2007年8月。でも、前回大阪に勤務していたのは2005年まで。
 ブログを書いていなかったのだから、当時の大阪のことを書けるわけがない。

 大阪支社には先行除雪車のごとく、1年前に氷山係長と凸川係長が先入りし、状況を把握しある程度の地ならしをしておいてくれている。

 そして今回は、伏草課長も同じく大阪に転勤した。きび団子もあげていないのに、お伴してくれるなんて勤勉かつ忠実な人だ。

 『浪速のバルトーク』と呼ばれる大栗裕(Oguri Hiroshi 1918-82 大阪)の「大阪俗謡による幻想曲(Fantasy on Osaka Folk Tunes)」(1955/改訂1970)。

 大栗は東京交響楽団、NHK交響楽団(当時は日本交響楽団)のホルン奏者を務めたあと、朝比奈隆の要請で大阪フィルハーモニー交響楽団(当時は関西交響楽団)に入団した。のちにホルン奏者をやめ、作曲に専念するようになった。

 「大阪俗謡による幻想曲」は朝比奈隆の海外演奏旅行のために書かれた作品。初演は関西交響楽団によって行なわれたが、その翌月、朝比奈はウィーン・トンキュンストラー管弦楽団およびベルリン・フィルでこの曲を指揮し、大栗の名はヨーロッパでも知られるようになった。

 下野竜也/大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏で。

 2000年録音。ナクソス。

 そんなわけで、今後はしばしばワンダーワールド・レポートを書かせていただくことになる(だろう)。