
今日は正真正銘のクリスマスである。
そのこととかなり時勢的に話は乖離しているが、先日は会議のあとに懇親会があり、お座敷での宴会料理でありがちなことだが、皆がみな流浪の民のように移動し始め、まさか自分の皿と箸をもって動き回るわけにいかないので、必然的に飲んでばかりで、終わったときには「ほとんどなんにも食べてない」という飢餓の人。
このままでは行き倒れてしまうと、そのあと数人で目に入った『
ふつうのチャーハンを頼もうとしたら、お店のお嬢さんが「いまはこちらがお勧めです」とかなり自信をもって進めてくるので、その『香香炒飯』を注文した。
テーブルに運ばれてきたシャンシャンはかわいらしかった。
しかし、空腹な酔っぱらいたちによって瞬時にして元の顔を失ってしまった。
ごめんね、シャンシャン。
どこか違った味
ところで、今回自宅で過ごしたとき、一度、マルちゃんワンタンメン『激めん』を食べた。
いまでは北海道限定販売ではないが、名古屋のスーパーではレギュラーサイズは見かけない。
「メンマ」という独立した表示は何の意図があるのだろう?という疑問はともかく、お湯を入れると……
う~ん、かぐわしい。
あらためて見ると、こんなに緑色に乏しいもんなんだぁ。
食べると……(今回は)おいしい!というよりは、ほのかに懐かしいという感覚だけ。
名古屋のマンションの一室でミニサイズを食べたときはもっとおいしく感じたのに、満足度は高くなかった。食べたあと少しもたれたし……
なお、こういう一般レベルのカップラーメンではないが、カップ麺でいまいちばん完成度が高いと思うのは、マルちゃん正麺のカップタイプである。
木に寄生する木
いろいろ話がとんで申し訳ないような気はあまりしていないが、先週の前半に伊勢に行って来た。
取引先への年末挨拶のためである。
伊勢神宮を参拝する時間はなかったが、近くに行ったので五十鈴川の水面を眺めてきた。
向こう岸にあった木。
この木の枝には、ぼんぼりのようなものがいくつかついている。
こういう様子は気をつけてみると珍しくはないのだが、意外と見過ごしているものだ。
これはヤドリギである。
木の枝に寄生する植物だ。
珍しくはないと言いつつも、珍しくそのタマタマの写真を撮ったので載せておく。
これに丸く電飾したらいかがなもんでしょう?

そんなこんなでクリスマスではあるが、そんなこととは関係なく、クラシック界でいま時の人となっているデュトワの録音から、ファリャ(Manuel de Falla 186-1946 スペイン)のバレエ「恋は魔術師(El amor brujo)」(1914-15/改訂'15-16)なんぞを。
死んだ男が、幽霊となってモトカノの恋の邪魔をするって話だが、大御所が立場を利用してチュッチュッ、ナデナデするなんて、この幽霊よりもたちが悪いかも。
デュトワ/モントリオール交響楽団、トーランジョー(S)の演奏で。
1981年録音。ロンドン(デッカ)。
ソプラノ歌手のトーランジョーがデュトワからセクハラ被害に遭ったかどうか、私は知らない。
そもそも、トーランジョーがおいくつで、どんな姿の人かも、私は知らない。
元気だけど、それが?
昨日は、行きつけの床屋に行って髪を切ってきた。
今年の汚れ(ではないが)、今年のうちに!ってことで、すっきりしてきた。
年賀状も出した。
コメントで「お元気ですか?」と書くたびに思う。
元気じゃなきゃそもそも私からの年賀状を読まないだろう。そこまで元気が失われていなくても、わざわざ「元気じゃないですよ」と言ってくる人はいない。
元気だったら、それはそれでたいへん喜ばしいことであるが、「元気です」と言ってくる人も、やっぱりいないだろう。その相手から年賀状が届けば元気ってことだろうから、「元気ですか?」と書くこと自体ナンセンスだともいえる。
ってなことを思いながらも、何人かの人に「元気ですか?」と書いてしまった。
それにしても年ごとに届く喪中はがきの数は増える一方だ。
年賀状をやり取りしている相手その人ではなく、親がバッタバタ逝く世代に私たちはなったというわけだ。
年賀はがきを何枚買うか、年々“《読み》が難しくなってきている。