Tchaikovsky5EliskaSSO  冬は先が読めない
 今週は週の半ばに札幌で会議があった。

 会議は午後からだったので当日の朝の便で新千歳へ飛ぶことも可能だが、なにせもはや『冬場』である。
 天候不順などで万が一飛行機が遅れたら-現実として『万が一』どころか『十が一』ぐらいの高確率でそういう目に遭う確率が高い。宝くじの著しく低い当たりの確率を見習ってほしいものだ-取り返しのつかないことになるので、前日に移動した。

  空弁、余りません?
 中部国際空港はすいていた。
 年末年始の民族大移動を控えた嵐の前の静けさなのだろうか?
 こんなにターミナルの利用者の数にムラがあると、日持ちのしないおみやげを扱っている店はたいへんだろうなと、自分の身には関係ないことながら心配になってしまう。

 飛行機の中もすいていて、私の隣2席は空席。
 いつものように通路側のHを指定していたが、「ただいま飛行機のドアが閉まりました」というアナウンスを聞いて、たまには窓際の族になってみようと、窓側席のKに移動した。
 とはいえ、別に窓の外を眺めるわけではないが……

  何度も聴いてきたが……
 エリシュカ/札響のチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の交響曲第5番ホ短調Op.64(1888)。

 2016年10月15日,16日に札幌コンサートホールKitaraで行なわれた、札幌交響楽団第594回定期演奏会のライヴ録音である。

 このCDを手にしたのは1か月ほど前のことだが、エリシュカ/札響のライヴCDがどれもこれもことごとくすばらしい出来で、もしかすると私は洗脳されているのではないか?、などと一応はいったん批判的とは言わないまでも、ニュートラルなスタンスをとる意気込みで、この1か月何度も繰り返しこれを聴いてみたのだった。

 そして、最近ではポータブル・オーディオで曲を聴くことがすっかりなくなった私ではあるが(ウォークマンのHOLDスイッチが破断して不便になったためだが、聴きながら歩いていて周囲の出来事に気づかないのも怖いことだと思うようになった。後ろから来た自転車にはねられて死ぬことだってある世の中なのだ)、今回は出張に携えた。
 この記事を書くにあたり、何もすることのない機内でもう一度聴こうと思ったからである。

  力づくではない、素材の良さを生かした調理
 結論から言うと、この演奏も高水準極まりない演奏。

 ロシア的な(と言われる)土臭さ、要するに野暮ったさみたいなところはなく、またスケールが大きいかというと、必ずしもそうではない。しかし、こじんまり収められちゃっているのとも違う。

 全曲を通じ、各楽器の音の輪郭が鮮やかでしっかりと聴き取れ、低音も充実している。
 エリシュカがなにか特別なことをしているかというとそうではなく、素材(曲)の魅力を純粋に引き出している感が強い。
 
 「運命がどうだ」とか「ぼく、おセンチなの」というような感傷も過度にならず、金管が叫んでもそれは決して絶叫にはならない。お涙頂戴とか圧倒的音量でたたみかけてくるものではないのだ。

 総じて(この曲には不似合いな言い方だろうが)快活。
 エリシュカは、「さっ、お昼にしましょ」と、弁当箱を包んでいるハンカチをひどくゆったりとほどくタイプのお年寄りではない(きっと)。
 歌わせるところはたっぷり歌わせるが、それもネチネチせず、札響の美しさが心を洗ってくれる。

 絶品・活イカのお造り!
 イキイキ!透明!シャキシャキ!美味い!

 そんな演奏だ。

  耳が遠くなっていたせいです
 機内で聴いているときに、それまでマンションで聴いてた時とは感じなかったことが。
 終楽章のオケの響きが薄いというか軽いというか……

 が、それは気圧のせいで私の鼓膜が魚の目化していると気づき、バルサルバ法-鼻をつまんで、鼻をかむように息を出す。息が耳の方へ回り耳が遠くなっているのが治る。注意点はきちんと鼻をつままないと、鼻水が放出されるという点だ-を行なうと、あらあら、ちゃんと終楽章も良く鳴っているじゃない。
 ただし、終楽章はオケが疲れたのか、ほんのわずかではあるが、ややパワーが落ちているようだ。

 そんなわけで、またまた称賛せざるを得ない演奏なのだ。

 レーベルはパスティエル。

 札響には私が知る限り、チャイコフスキーの5番のCDが(廃盤も含め)3種ある。
 堤俊作の指揮山田一雄の指揮、そしてこのエリシュカ盤である。

 次から次へとCDを出しているわけではないのに、チャイ5で3枚もあるって、なんだかすごい。

  -20+25=+5
 離陸直後と着陸前に、飛行機はひどく揺れた。

 そんなわけで聴きながらメモをとったのに、揺れのせいでその文字の多くは部屋の中で舞い上がった塵が描いた軌跡のようで、自分でも判読不能な点が多かった。
 が、要するに上に書いたとおりである。

 追い風だったのかどうかわからないが、新千歳には定刻よりも20分も早く着陸した。
 しかし駐機場が空いておらず-出発が遅れているピンク色の飛行機が居座っていたのだ-、その手前で機内で25分待たされた。

 結局定刻より5分遅れということだ。
 ぬか喜びして無駄にドーパミンを消費してしまった。