
13日の北海道新聞朝刊に、札幌の老舗名曲喫茶『ウィーン』(狸小路7丁目)が今月の30日で閉店。58年の歴史に幕を閉じると載っていた。
スピーカーを背にしているのは、写真の構図上の都合ってもんに違いない。
私が喫茶店を利用するようになったのは高校生のとき。
きっかけはテーブルゲームのブロック崩しやインベーダーゲームをやるのが目的だったが、
① いつだってゲーム機のテーブルは空いてない。
② 空いてたら空いていたで余計に金がかかる。
③ そもそもそういうゲームが下手
ということで、すぐにこれから先どうしたものかと行き詰まった(行き詰まる必要などこれっぽっちもなかったと気づいたのは、後年になってからである)。
そんなときにクラシック音楽を高級機器で大音響で聴ける場があるということを知った。
私の居場所はそこになった(といっても、月に1~2回くらいのことだけど)。
学生街の名曲喫茶『クレモナ』
初めて行ったのは北海道大学近くにあった『クレモナ』。
大きな通りから中通りに入ったわかりにくい場所で、なにをもってそう名づけられたのか見当がつかない『近代店舗ビル』の1階にあった。
向かいにはラブホテル(いまは《ブティックホテル》とか言うらしい)があって、立地からして北大生御用達なのかしらんと思った。

当時の札響定期演奏会のプログラムノーツに載っている広告。
当時はときどき名曲喫茶の広告が載っていた。
クラシックが流れる純喫茶『シャンボール』
次に知ったのが狸小路のすぐ近くにあった『シャンボール』。
1階が『セコンド』というふつうの喫茶店。2階が名曲喫茶となっていた。
ここはレコードの数も少ないし、オーディオ機器も『クレモナ』に比べると見劣りした。
そもそもスピーカーが壁の天井近くの高さのところに埋め込まれていて、さほど大きいものではない。
音響重視という感じではなかった。
メニューにもその点が反映されていて、名曲喫茶では食べるときに音がが出てしまうフードメニューというのはほとんどないのが当たり前で、せいぜいあってもトースト程度。しかし『シャンボール』もはピザトーストなどもあった。
もっともそれは、下の喫茶店『セコンド』で作られるのだ。それが料理専用のミニエレベーターで上がってくるのだが、「ウォ~ン」というそのモーター音もなかなかうるさく、その点でも名曲喫茶としての気負いやプライドをこの店は放棄していた。逆に言えば、気軽にクラシック音楽を楽しめる店だったわけだ。
なにもかもゴージャスな『ウィーン』
札幌市内で知りうる名曲喫茶のなかで、私が最後に行ってみたのが『ウィーン』。
『ウィーン』というと、札幌の名曲喫茶の中でも別格というイメージがあって、最初に入るときは勇気がいた。
ここは平和ビリヤードという看板があるビルの地下。
店内は薄暗く、マッキントッシュのアンプの明かりが目立つ。メーターのブルー(ブルーアイズと呼ばれる)が美しく映えているのだ。
椅子は高級そうだったが、私が行ってた頃にすでに生地がややすり減っていたように思うし、地下のせいかどこか空気が湿っぽかった。
椅子やシャンデリア、高級なオーディオ機器と大きなギャップがあるのがトイレ。
和式の汲み取り式トイレなのである。しかも、底なし沼のように槽が深そうに感じる。
いまでも年に何回か狸小路にバキュームカーが乗り入れられ吸い込んでいると考えると、感慨無量である(←なんで?)。
同じビルにビリヤードに名曲喫茶。同じ空間にアメリカの高級オーディオにぽったんトイレ……。
ある意味《名曲喫茶の時代》を凝縮したような店とも言える。

札幌市教育委員会編の「さっぽろ文庫57 札幌と音楽」に、『ウィーン』の店主の横山信幸氏の話が載っている。
大学を卒業しまして半年ほどの準備期間のあと、狸小路7丁目のここで昭和34年(1959)の12月のクリスマスにオープンしました。いや、24日にオープンするはずが、コーヒーを出すリハーサルもやっていない23日からお客さんが入ってきたんです、行燈も出していなかったのに。昼は大学生、午後5時過ぎるとサラリーマンがやってきました。
その頃、クラシック音楽喫茶といえば、「美松」ではセミプロみたいな人がクラシックを演奏していましたし、ほかには「セコンド」とか「シャトー」などが有名でした。……
えっ?『セコンド』もかつては名曲喫茶だったの?へぇ~。
むかしの広告では午前10時開店、午後10時30分閉店となっているが、現在は午前11時~午後6時までの営業になっている。

ところで、『シャンボール』に行くとよくかかっていたのがドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904 ボヘミア)の交響曲第7番ニ短調Op.70,B.141(1884-85)だ。
そんなにしょっちゅう『シャンボール』に行っていたわけじゃないのに、行くたびに鳴っていたような気がするほどだ。
きっと店の女性-30~40歳ぐらいで、病弱ではないが健康そのものって感じには見えなく、漫才を見ても決して大声を出して笑わなそうな感じの人だった-が好きな曲だったのだろう。
あるいは、名曲喫茶のくせにあまりレコードが揃ってなさそうだったので-客のリクエストは受け付けていなかった-、こればっかりかけていたのかもしれない。
あの演奏が誰によるものだったか知らないが、今日は「また、エリシュカかい」と言われるのを回避すると同時に、なんとなくあの当時の雰囲気に合いそうな-録音された年はもっとさかのぼるが-シルヴェストリの指揮で。
オーケストラはウィーン・フィル。
1960年録音。EMI。
年の最後、営業の最後は「第九」で
3つの名曲喫茶なかでいちばん好きだったのは『クレモナ』。
北大に入学した暁には入り浸ろうと思っていたが、私が大学に入学したときには店を閉じていたし、それよりなにより私は北大には入学できなかった。
『ウィーン』は呼吸するにも緊張するような《本格的な客》が多く、ちょっと行きづらかった。
で、『シャンボール』がクラシック音楽が流れているふつうの喫茶店って感じで、いちばん気楽に過ごせた。
何年か前に『シャンボール』があったビル(といっても2階建て)の前を通った。
自動販売機が置いてあったが、その自販機の後ろにはかつての『シャンボール』への階段が。自販機が目隠しになっていたのだ。
そこに垣間見えた、いまや真っ暗で朽ち果て気味の階段。妙に懐かしく感じた。
さて、新聞記事によると、『ウィーン』で最後に鳴り響くのはベートーヴェンの「第九」。
最終日の閉店は17:00だそうである。
私はもう何年もウィーンに行っていません。どうしてかわからないのですが、どうも落ち着けないのです。落ち着くべき場のはずなのに不思議なものです。
シャンボールは名曲喫茶って感じじゃなかったですね。照明も明るめで、椅子も茶色のビニール張りのものでした。もう役目は終わりましたって雰囲気がありました。
「ウィーン」の閉店は、一つの文化が消えるような感じです。