2  尾高はまだか?
 尾高忠明氏について書いた片山杜秀氏の文がきっかけとなって書き始めたこのシリーズ。

 けど、なかなかその尾高忠明がでてこなくてご心配をおかけして多少申し訳ない気がしないでもない。
 そして、きっとその心配はこの先少なからずスカに終わらない可能性もある。

 ところで、もう一度歴代の札幌交響楽団の指揮者をまとめた表を載せさせていただく。
 前回不明だった点、いい加減だった箇所については私なりに血は吐くような努力をして修正してある。

 前回までの「私の札響感動史」ではマリが指揮した1980年6月の第205回定期まで取り上げた。その話の流れから1985年10月の第263回定期(岩城宏之指揮による「シェエラザード」の紹介)まで時代がとんだが、これは話の流れからってもの(←しつこい?)。

 特に時代を追うつもりはないが、こうなったら時代に沿った方がよさそうだ。となると、現時点では1980年まで。
 表を見ていただくと尾高が札響の正指揮者に就任するの
SSO194thは1981年8月のことである。もうちょっと待ってね、尾高ファンのみなさま。

 で、時代に沿ってと書いておきながら舌の根も乾かず、改行キーを数回押しただけのあとに入力しづらいのだが、1 9   79。

 すいませんが1979年にお遡りくださいませ。

  指揮者っぽくない黒ぶちメガネ
 1979年6月18日の第194回定期。この日の指揮は井上道義。メインはストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)だった。

 札響が「ペトルーシュカ」を初めて取り上げたのは1975年10月の岩城が正指揮者に就任した第153回定期だったわけだが、それ以来、2度目の「ペトルーシュカ」だった。

 私はそれまで本や雑誌の写真でしか井上道義を知らなかったのだが、チョーお堅い職業のサラリーマンがかけるような黒ぶちのメガネがすっごく指揮者らしくなくて、なんだかとても盛り上がる演奏をしてくれるような人とは思えなかった(このチラシではメガネをかけてないけど)。だからといって、小松一彦のようなオカッパ頭もどうかと思ったが……

WhosWhoAkiyama この日のプログラムもバッハとモーツァルトのヴァイオリン協奏曲。らしいなぁって感じだった。

 ところで、私の手元には『指揮者WHO'S WHO』という冊子がある。『レコード芸術』1976年8月号の付録だ。もはや、仏壇に安置してある過去帳のような香りを発するようになって久しい。

 そこに載っている、井上、尾高と、そして実は札響ですっごく良い仕事をしてくれている秋山和慶の箇所を切り貼りしてみた。

 みんな若い(というか、秋山は昔から落ち着いた風貌だった)。ねっ?井上道義っていまと全然違うでしょ?大学病院のエリート医師、兜町では有名なエリート証券マン、地域住民に密着しないエリート銀行マン、みたいな感じ。
 そして、ご覧のようにこの3人、世代が一緒なのだ。
 見た目で判断できないものだ。

  だって、バレエ音楽ですもの
 さて、井上が指揮した「ペトルーシュカ」は大感激ってほどじゃなかったが、とても楽しめた。
 なによりはっきりと覚えているのは、アンコールで第4場の音楽の一部をやり、途中で指揮をしながら太もも上げのように足を高く上げて踊るように歩きながら袖に向かいステージから姿を消したことだ。

 「ペトルーシュカ」の演奏そのものもそうだったが、この指揮者実は見た目と全然違うキャラだと思ったものだ。
 バッハのヴァイオリン・コンチェルトで井上がチェンバロを弾いていたのも印象的だった。

 ただ私が本当に井上道義という指揮者に親近感と期待感を持つようになったのは、1983年の『こどもの日』にNHK-FMで放送されたライヴ録音を聴いてから。

Eglogue 曲は伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「二十絃筝とオーケストラのための交響的エグログ(EGLOGUE SYMPHONIQUE pour Koto a vingt cordes et Orchestre)」(1982)。

 この年の1月の札響定期(第233回)で安倍圭子のマリンバ、山田一雄の指揮で「ラウダ・コンチェルタータ」を聴き、衝撃なんてもんじゃない超ウルトラ・ドン!を受け、熱心すぎる伊福部教信者になってしまった私に、うれしすぎるタイミングで『新曲』を聴かせてくれたのが井上だったのだ(なお、ここに書いているように初演は1982年3月24日に小林研一郎の指揮で行なわれた)。

 その井上が指揮した「交響的エグログ」の演奏を。二十絃筝は野坂恵子。オーケストラは東京交響楽団。

 1983年2月10日ライヴ録音。フォンテック。

 ということで、全然話が時代に沿ってなくてごめん。

 で、なんかいやな予感がしたのであらためて別な資料で調べたら、それぞれの生まれ年は、秋山1941、井上1946、尾高1947だった。やっぱり秋山の落ち着きは年の差にあったのだ。落ち着きすぎで、いまうまく調整がついた感じだが。
 ちなみに小澤征爾は1935年生まれ、岩城宏之は1932年生まれである。