
先週のことである。
9:30に予約を入れていた歯科に私が到着したのは9:23。
仕事を抜け出して通院しているということの是非は別として-直接も間接にも関係ないが、政治家がしばしば使う「是々非々」って言葉は、ふつうの人は使わない。もっと一般的な言葉をお使いなさいと申し上げたい-絶妙に見事な到着時間である。
9:31。「MUUSAN、どうぞ」と衛生士さんのお迎え。
治療用椅子に座り、いろいろと処置を施され、最後に医師が言った。
「今日はこのへんで。明日またお待ちしています」
「明日?……ですか?」
明日も来いということか?明日の仕事の予定はどうなっていたっけ?8MBぐらいまで記憶力が乏しくなっている私にとって、手帳が手元にないとこの医師と約束することはできない。
えっ、では本日は?
が、医師はたたみかけるように言う。
「ええ、予約入ってますよね?」
「えっ?」
私は、そんなことは信じたくないが、口にしてみた。
「ということは……」
「ええ、今日は予約は入ってませんでした」
なんてこった。
私は予約していた“明日”を今日のことと思い、当たり前の権利のように受付し、呼ばれるのが当たり前のように待合室に鎮座し、治療してもらうのが当然というように口を開けたのだった。
あとからジワジワと強くなる羞恥心
だったら受付に診察券を出したときに「今日は予約は入ってませんよ」と優しく行ってほしかったものだ。たまたま予約の空きがあったのだろう。だから受付の彼女は何もおかしなところはございません。きちんと地球は自転していますとばかり、私の診察券を受け付けたのだ。
が、最後の最後になってこのように真実を伝えられるのは、あなたが思うよりも私にとって恥ずかしいことだった。
いままでこんなことなかったのに……
そんなわけで2日連チャンで私は口の中をいじくってもらったのであった。
吉松隆(Yoshimatsu,Takashi 1953- 東京)の「忘れっぽい天使(Forgetful Angel)」。
ⅠからⅢ集まである。
Ⅰはハーモニカとピアノのための作品で、1978年作曲(Op.6)。
Ⅱはハーモニカとギターのために書かれており、1979年作曲(Op.8)。
そしてⅢは、ハーモニカとアコーディオンのための作品で、1985年の作(Op.24)である。
崎元譲のハーモニカ、白石光隆のピアノ、芳志戸幹雄のギター、御喜美江のアコーディオンで。
録音はⅠが1998年、Ⅱが1985年、Ⅲが1986年ライヴ。
カメラータ。
つまり、天使だって忘れっぽくなるのだ。
準天使とも言うべき私が忘れ、いや、勘違いしたって地球の公転に影響はない。
けど、私はいまどきにしては化石的にスマホ持ってないし…・・・