BerliozSFPretre  この絵のような人は駅にはいなかったけど
 おととい、帯広にやって来た。
 今日まで帯広およびその近隣の町で仕事である。

 今回の出張の、冷たいあなたにはちっとも話を聞いてくれないのね、的な報告については戻ってからということになるが、その間、少なくとも機能、京都飛鳥漁って、おっと、昨日、今日と明日かあさって(便乗)のブログは文を書いている時間がないので、あらかじめ書いてあった記事を予約投稿する。そのことをあなたは認知しなくれはならないの。
 作り置きしていた文章か、作り立てのできそこないの文章かの区別は、投稿時刻が5:30か否か。5:30なら予約投稿ということになる。
 あるいはホテルでレンタルPCを借りた場合は、いまくどくどしく書いた前提はなし崩しになる。

  減塩食のよう?
 さて、19日に村上春樹の「雑文集」のなかから、マゼールについて書いてある箇所を引用したが、その続きにはこう書いてある。

 ――ジョルジュ・プレートルがベートーヴェンを振ったコンサートも見事だった。レコードで聴くプレートルの印象ってなんかちょいと薄いめで、とくになんていうこともない指揮者だなあ、と思っていたんですけど、実演だとまるで違うんです。音楽が隅々まで生きて動いていて、それが目に見えます。そういうのって、コンサートじゃないとわからないですよね。
――


 そうですか?

 いえ、決して同意していないということではない。
 コンサートじゃわからないことって、間違いなくある。

 私が疑問をもったのはプレートルのこと。この指揮者に関してはフランス物の録音しか聴いたことがないから。
 サン=サーンスやプーランク、そしてベルリオーズだ。

 その演奏は透明感があって繊細。快活でちょっぴり茶目っ気もある(ように聴こえることがあるような気もする)。逆にいえば、村上氏の言う「薄いめ」ということになる。
 にしても、「薄め」じゃなくて「薄いめ」って言うんだ……。濃いめの反対だからな……

 プレートルは今年の1月に亡くなった。
 そのときにはどこのオーケストラとも契約を結んでいなかったが、ウィーン交響楽団の終身名誉指揮者、シュトゥットガルト放送交響楽団の名誉指揮者だった。

 そのプレートル/ウィーン交響楽団によるベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-69 フランス)の幻想交響曲Op.14(1830/改訂'31)。

 このディスクを以前取り上げたとき、私は生意気にも“録音は良いし、力演。ただ、私の心には迫ってこない。パワーもあるのだが、どこかよそよそしく響く。全体を通してテンポは速めで、この作品の標題がもつ恨みつらみとか愛と憎しみのような情感は希薄”と書いている。

 やっぱり薄いめってことか?

 いえ、悪くはないんですよ。鳴るべきところはパワフルだし、細かにテンポを動かすところも面白いし。
 でも、私の好みは後半2つの楽章はもっとドロドロやってほしいところってだけ。とくに、しけたしけた鐘の音がどうもねぇ。
 機会があったら、プレートルのドイツ物を聴いてみよう。

 1985年録音。テルデック(WARNER × TOWER RECORDS Detour Collection)。

SukiyaButadon1  非十勝風豚丼
 ところで帯広といえば、誰もが知ってる-もう1つのソウルフード・中華ちらしを知らなくても-豚丼。

 名古屋で暮らしていてけっこう重宝しているのが、冷凍食品のすき家監修によるトロナジャパンの牛丼の具
 お茶碗サイズで便利なのだ。

 しかし牛肉よりも豚肉が好きな私。すき焼きでも牛より豚に喜びを感じる私。

 そんな私が自宅に帰ったとき、近所のスーパーですき家の同じお茶碗サイSukiyaButadon2ズの豚丼の具が売っているのを発見した。

 名古屋でも売ってくれないかなぁ。

 そう思っていたら、誰にも言ってないのに願いが通じたのか、マックスバリュで大量陳列されていた。

 豚丼といっても十勝の豚丼のように焼いたものではなく、豚肉を牛丼風に煮込んだもの。

 でもやっぱり、牛より豚が、私にはおいしく感じる。

 あれ?
 “ぶたどん”じゃなくて“とんどん”ってふり仮名が……
 へぇ~。

 考えてみれば、トンカツにトンテキ、トンソクって言うもんな。トン汁はぶた汁って言うことはあるけど。
 ってことは、ぶた丼って言い方の方が全国的にはひねった読み方なのかもしれない。