まずは歴代の指揮者の整理を
 札響の忘れ得ぬ名演を、忘れ得ぬと言いつつもけっこうつらい思いをしながらなんとか記憶を呼び起こし、思い出せたことを喜び、かつ、懐かしがろうという、自己満足企画の第2話である。

  その前に、いちど札響の歴代指揮者-いろいろな肩書があるのでややこしいが、要するに“札響の指揮者”だという位置づけだった人たち-の在任期間をまとめてみた。

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 スタートがペーター・シュヴァルツになっているのは、私が初めて札響定期に行ったとき-1973年12月-に常任指揮者を務めていたのがシュヴァルツだったから。シュヴァルツが初代の常任指揮者ということではない。


 札響が誕生したのは1961年。初代の常任指揮者は荒谷正雄である。
 そのあとを継いだのがシュヴァルツで、1970年4月からである。シュヴァルツの就任を1969年8月と書いてある資料もあるが、確かにそのときに来札したものの、正式な就任は70年4月だ。

 荒谷が辞めたのは1968年。つまり、シュヴァルツが就任するまでに空白期間がある。この間は常任指揮者という肩書ではなかったものの、読売日響の山岡重信が常任指揮者並みの務めを果たしてくれたそうだ。

 私は、初めて定期演奏会に行くにあたって、1回券ではなくいきなり73年12月~74年3月のシーズンの定期会員(友の会会員)になった。C席のシーズン券(4回分)が1,200円だった。クラスメイトの全川君を巻き込み、2人で会員になった。
 いまにして思えば全川君がクラシック音楽を好きだったかどうかはわからないが、毎回感激していたので嫌いではなかったはずだ。

SapporoBunko57 その全川君の名前が、今年になって北海道新聞のおくやみ欄に載っていた。
 住所こそ当時とは異なっていたが、同じ札幌市西区。
 姓名と年齢が一緒だったから間違いないだろう。

 といっても、中学卒業後は一度も顔を合わせたことがない。
 名前の文字づらに懐かしい思いがしたが、ほとんど見知らぬ人になってしまっていたのだった。


  苦労をアピールする私
 さて、札響の指揮者の在任期間を図にするのは意外と大変だった。セル幅をどうするかとか、グラフの色の選び方とか、そういう話ではない。

 ・ 就任年、退任年が書いてあっても月まではあまり書かれていない。
 ・ 特に退任の場合はさりげなく通り過ぎていて、意外と触れられていない。

からだ。


 1973年に一度は定期会員になった私だが、そのシーズンでやめた。お金がなかったからだ。

 再び会員になったのは1年後の74年12月(羽振りがよくなったわけではない)。そのあとは1997年ころまでずっと会員を続けていた。
 とはいえ、所用などでだんだん演奏会に行けなくなることも増え、券はあるのに会場のMy seatは主がいないままということが多くなった。行けなければ、当然当日のパンフレット(プログラム)も手にできない。会員期間中のすべてがそろっているわけではないのだ。

 そんなこんなで情報がなかなか集まらない。

 手元にある定期演奏会のパンフレットや札響のホームページ、各指揮者のネット上のプロフィール、さっぽろ文庫 第57巻「札幌と音楽」(札幌市教育委員会編:北海道新聞社)を参考にしたが、「よっしゃ!できたぁ~」とはならなかった。


 図では秋山和慶の退任年月が“?”のままになっているが、決定打となる資料がなかったからだ。他にも間違いがあるかもしれない。罪深い私の過ちを正してくれる人がいれば、幸いなるかな、である。


  えっ?札響よりこじんまりした演奏じゃん
 で、今日は尾高/札響の演奏の想ひ出ではなく、尾高が東京フィルハーモニー交響楽団を率いて90年8月27日に札幌(北海道厚生年金会館)で行なったコンサートのことを。

 この日のメインのプログラムはマーラーの交響曲第5番だった。

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 実はその3年前の1987年6月18日の札響第282回定期演奏会で、シャローンのタクトの下、マーラーの交響曲第5番が演奏された(北海道厚生年金会館)。
 札響にとっては第4楽章の「アダージェット」のみを取り上げたことはあるものの、このシンフォニーの全曲演奏は初めて。
 私も生で聴くのは初めてだった。


Sakkyo282nd

 これが期待を裏切らない、いや、期待をはるかに上回るすっっっっっばらしぃぃぃぃぃ演奏だった。
 会場大興奮。皆が熱狂し、酔いしれ、感極まり、手のひらが内出血するくらい拍手し、筑波山ろく男声合唱団もかなわないほどのブラボー絶叫が響き渡った。

 あの興奮をもう一度味わいたい。この在京オーケストラによる、しかも尾高が指揮というコンサートを非常に楽しみにしていた。


 が、まったく盛り上がらなかった。
 もしかして、飛行機代を節約するために団員の数も少なかったのかもしれない。スケール感のない腑抜けたマーラーだった。

 尾高忠明という指揮者に対し、私がちょっぴり斜に構えるようになったのは、あるいは演奏前に満たされないのではないかとどこか不安な感じがするのは、この晩に受けた肩すかしのせいかもしれない。
 そしてまた、在京のオーケストラをありがたがることもなくなった。札響の方がずっと良いではないか!と。

 実はシャローン/札響の熱狂的な夜の3ヶ月後、小林研一郎/日本フィルハーモニー交響楽団がやはりマーラーの5番を北海道厚生年金会館で演奏した。

 その晩のことを、私は驚くほど覚えていない。
 コンサートに行ったという記録があるだけで、まったく記憶に残っていないのだ。


  まぎれもなくえこひいきです
 札幌に来る在京オケの演奏会にわざわざ行く気がしなくなったのも、あるいは大阪や東京、そして今は名古屋に住んでいてもほとんどコンサートに出かける気にならないのも、札幌にすばらしいオーケストラがあるおかげなのである。年のせいで出不精になったわけでは決してない。

 ひいき目?
 間違いなくそうだ。札響が良い演奏をすればとてもうれしいが、ほかのオーケストラがものすごい良い演奏をしない限り、私は札響に軍配を上げる(その点、海外の名の通ったオーケストラは、響きが別格だとは思う)。


 マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第5番嬰ハ短調(1901-02)は、いまでは全然珍しくないし、長すぎると恐れおののく人ももうほとんどいないだろう。
 ディスクも多い。

MahlerSym5Sol 発売当時、こんなすばらしい録音が、パワフルな演奏があるのかと絶賛されたショルティ/シカゴ響のディスク。

 さすがに“すばらしいデッカ・サウンド”も古さを感じるようになったし、音場に不自然なところもある(飛び出す絵本のように、いきなりホルンの音が前面に現れるなど)。
 あまりにメカニックすぎると、ショルティのアプローチに怪訝な顔をする人もいるだろう。

 でも、私にとっては人生のなかで外せない1枚だ(他にもたくさんあるけど)。


 1970年録音。デッカ。


  シャローンは、その後マーラーの2番も札響で振っている。

 そして、非常に残念なことに、来日中だった2000年に急逝した。
 生きていたら、マーラーのほかの交響曲も札響で振ってくれたことだろう。それはきっとすばらしいものになったに違いない。