目は心の窓
夕方、若園課長が私の席の所にやって来た。
とても気の毒そうな表情で私を見ている。
私は気の毒そうに見えるくらい貧相なのだろうか?貧乏だが貧相ではないと思っていたが、ボウだけでなくソウも兼ね備えてしまったのかもしれない。
でも、よく見ると目が笑っている。2つとも。
目は心の窓と言われる。
彼の二重窓が示していること。それは気の毒そうな表情は演技だということだ。
でも、私が笑いたくなるほど気の毒な状態になってしまってるってことも考えられる。
昼に食べたおいなりさんのご飯粒がほっぺたについたままになっているのだろうか?
あわあわLANDに出したときのクリーニングのタグが、ズボンの後ろ側についたままになっているのだろうか?
同じ痛みを知るもののいたわり
「かなり痛いんですか?」
えっ?私はそんなにぶちゃくなっているのか?
そのとき若園課長は軽く肩を回してみせた。
あっ、そうか!
肩が痛いことをブログに書いたんだっけ。
そのことを心配して、かつ、冷やかしに来たのだ。これで気の毒そうな表情と瞳が笑っていることが矛盾しなくなる。
「かなり痛い。肩関節周囲炎に間違いないと思う。ほれ、こうやると…… イテテテテテ」
涙が出た。「イデデ、イデデ」とバナナ・ボートを歌う余裕などみじんもなかった。
若園課長は言う。
「実は私も痛くって。5月がいちばんひどかったんです。整形外科に行ったんですけどどこも異状はないって言われて、痛み止めの注射を打たれただけ。全然よくならないんで、家の近所の整骨院で調べたら石灰化しているところがあるって。つまりは四十肩だって言われました」
そうだったのか。彼は同志だったのだ。
「へぇ、一緒に金沢に出張したころがいちばんひどかったんだ。四十肩で苦しんでいたなんて全然気がつかなかった」と、私は自分のときには肩関節周囲炎と言っておきながら、若園課長には四十肩と言い放ってしまった。せっかく心配してくれているのに、申し訳ないことをした。
ところで上のイラストは先日取り上げた「百歳まで歩く」に載っているストレッチである。
これをやると猛烈に痛い。どのくらい痛いかって、できないくらい痛い。
もっともこういうのは痛くなる前に、いや、痛くならないために正常なときからやっておくべきものなのだ。
やれやれ……
恋焦がれ……
モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のノットゥルノ「愛らしい2つの瞳(Due pupille amabili)」K.439。
作曲された年ははっきりとしないが、1787年と考えられている。
ノットゥルノというのはノクターン(夜想曲)のイタリア語(フランス語だとノクチュルヌになる)。
ただ、モーツァルトのノットゥルノの場合、夜に愛する人の家の窓の下から歌うセレナード(小夜曲)に近い。
「愛らしい2つの瞳」は2人のソプラノと1人のバス、3本のバセット・ホルンという編成。
詞はメタスタージオではないかとされている。
詞の内容は、2つの愛らしい瞳が私の心をかき乱した……っていう、典型的な恋の歌。
私が持っているCDでは、2人のソプラノではなく、ソプラノとアルト。3本のバセット・ホルンではなく2本のクラリネットと1本のバセット・ホルンという編成になっている。なんでそんなことになってしまったのか、私にわかるはずがない。
ソプラノはVries、アルトはSholte、バスがRamselaar。クラリネットはGraafとRijsewijk(何て読むの?)、バセット・ホルンがJansen(ジャンセンだな、きっと。うん、間違いない)。
2001年録音でレーベルはブリリアント・クラシックスだが、はいはい、廃盤ですね。
で、若園課長の瞳は愛らしかったかって?
それは、ヒ・ミ・ツっ!
ん~、なぜなんだろ?