父は悲しい
いまわが家の庭のシンボルツリーである桃色ナツツバキも開花のピークを迎えている。
以前も書いたように、この花は朝開くとその日のうちに散る。いや、散るというよりはそのままポトリと落ちる。
まるで首をはねられたような感じなので、武士はツバキを嫌ったという話が伝わっているし、病院にお見舞いに持って行くのはタブーらしい。
私はベルリオーズの「幻想交響曲」の第4楽章「断頭台への行進」を口ずさみながら、せっせと落ちた花を拾い集めた。集めてどうするかって?はちみつに漬けてぇ~、ではなく、そのままゴミ袋に入れるのである。つまり清掃作業である。
去年はポーポーちゃんことキジバトが、この木に巣を作った。
2羽が卵からかえり、飛び立っていった。
今年は、どこからかキジバトのデーデーポッポーという鳴き声が聞こえては来るが、わが家には巣を作ることはなかった。義理の父のような気持ちになっていた私としては、気を遣わなくていいのでうれしい反面、さびし
※ ここから書いてある内容はワタクシの驚くほど浅はかで愚かで早とちりで視界不良による大恥以上の誤認であることが判明した。弁明記事はこちらにある。
義父といえば、名古屋⇔中部国際空港の名鉄の沿線に、以前から気になっている建物がある。
今回、窓越しに写真を撮ることに成功した。
ミュースカイだと神宮前と中国際空港の間はノンストップなので、その建物がどの駅に近いのかよくわからない。
なんとなく時間的にこれぐらい乗ったあたりだったはずという極めて大雑把な目安で、まだかまだかとずっとシャッターボタンを半押しにして構え、腕がプルプルし始めてきたときに、その建物が突然見えてなんとか撮影に成功(危うくシャッターを押すのを忘れ、見とれるところだった)。ようやく私は過酷な労働から解放された。
そんな努力をしたのに、写真の出来はこんな程度かいと言うなかれ。窓越し、かつ逆光、かつ高速走行中の車内からの撮影なのだ。
でも、ふれ愛……義父……って、この建物の名前にはどういう意味が込められているのだろう。
そもそも何の施設なのだろう。なんとなく想像はつくが……
“父”とか“パパ”じゃなくて、“義父”でなければならない理由はなんなのだろう?
もしあなたがこれを見て、エッチな禁断のふれあいを想像したなら、それは“寝たきりの義父の股間にまたがった私”とか、“お義父さまのおもちゃにされ、よがる欲求不満妻”、あるいは“夜は夫、昼は義父。親子丼好きな淫乱妻”といったたぐいのアダルト動画の見過ぎであると、私はあなたを非難せざるを得ない。
デュリュフレ(Maurice Durufle 1902-86 フランス)の讃美歌「われらが父(Notre Pere)」Op.14(1976)。
オルガン伴奏版や無伴奏合唱版がある。
ここではオルガン伴奏付きの版で、ミシェル・ピケマル指揮の同ヴォーカル・アンサンブル、ルブランのオルガンによる演奏を。
1994年録音。ナクソス。
タワレコではすでに取扱終了となってしまっている。