購買意欲をあおりたてる文章
“レコード芸術”5月号の“先取り!最新盤レヴュー”で、中村孝義氏が紹介しているのが、ノット/ウィーン・フィルによるマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の「大地の歌(Das Lied con der Erde)」(1908-09)のディスク。
……全く「新しい」絶美の世界。冒頭の芯があって艶やかな、それでいて何とも耳あたりの良い柔らかさを持ったホルンの雄叫びからして一挙に耳を引きつけられてしまったが、その後に登場する、滴るような艶麗な美観を身にまとった弦楽器群の魅力的な音色には本当に身も心もほだされてしまう。もちろん随所に点在して奏でられる木管のチャーミングな音色や表情もマーラーの爛熟した美しさを描き出して余りある。近年、こんなに美しく充実した響きや表情をウィーン・フィルが示したことがあったろうか。
と、べた褒めである。
ここで“マーラー”を“音源”、“ウィーン・フィル”を“再生装置”に置き換えるとヘッドフォンのレヴューにそのまま使えちゃったりできそうだが……
それは冗談として、ここまで書かれたら聴かないまま人生を終わらせるわけにはかない。
で、聴いてみた感想だが、確かに美しい演奏だ。すばらしい演奏と言うしかない。
ただ、艶麗とか爛熟した美しさというところまで感じたかというと、そうではなかった。だいたいにして、ふだんからそういう言葉は使わないし……
でも作曲者の意図に反しているのでは?
しかしこの録音の「新しさ」はそれにとどまらない。何と独唱者に起用されたのが、現代における最高のテノール歌手であるヨナス・カウフマン。しかも歌手はたった一人しかクレジットされていない。つまり普通ならアルト、あるいはバリトン歌手が歌う楽章までカウフマンが歌ってしまったのだ。これはまさに前代未聞のこと。しかも驚くべきことは、これを聴いていても全く違和を感じないということだ。……
この演奏を聴いていると、この曲は、本来一人の歌手で歌われるべきものであったのではないかと錯覚するほどである。……
1人で歌っていることに全く違和感がない。それはその通りだ。
この曲はほとんどの場合、アルトとテノールを独唱に起用して演奏される。
私が持っているCDのなかで、バーンスタインの1966年盤とラトル盤(1995年録音)では、テノールとバリトンを起用している。
わかってて聴いているのに、偶数楽章で女声ではなく男声で歌が始まると「あれっ」と感じてしまうが、この1人による独唱だと不思議なことに自然に耳に入ってくる。
この「大地の歌」は、2016年ライヴ録音。ソニークラシカル。