スペイン風駅舎
 翌朝は早々に名古屋に戻るため、7時にホテルを出発。駅に早めについたので辺りを散策してみた。
 同じようなことを1年前もしたような気がする。

 前日にホテルまでタクシーの迎えを予約しておいたが、間もなく駅に着くというときに、運転手さんに「古くなってしまってますけど、駅の建物が凝った造りですね」と尋ねてみた。

 運転手さんは「スペイン村に合わせたんだけど、ほら、すっかりさびれちまって……」

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 私には「そんなことありませんよ」なんて、まったく言えなかった。
 運転手さんの言葉にはまったく反論の余地がなかった。

 たぶんできたときには輝きを放っていたのだろうが、今ではすすけてしまっている。

 駅の通路には駅舎が建った年と思われる年号が書かれたプレートや、絵皿が。
 スペイン風だ。

 それにしても、この小僧。背後から何をしようと企んでいるんだ?

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  10年前までのニックネームは志摩スペイン村駅
 今年も去年も、この駅に降り立ったとしても、果たして客待ちのタクシーがいるのだろうかとずっと不安に思っていたくらいだ。幸いにも2年続けていてくれたが……

 それくらい降り立つ人がいないのだ。特急が停まる駅なのに。
 今回、この駅で降りたのは私を含め2人。つまり私の他に1人。だから指を使わなくても数えることができた。

 志摩スペイン村の最寄駅となるので特急が停まるのだろうが、スペイン村の入り口としての役目は今では鵜方駅に移されてしまった。過去は磯部駅からスペイン村行きのバスが出ていたようだが、廃止されてしまったのだ。直行バスはここ磯部駅より3駅賢島寄りの鵜方駅から出ており、そのせいで街が寂しくなってしまったのだ。

 駅の周りは人影もまばら。
 これといったものは何もない。

 土曜日の7時過ぎだから、また昨日は平日の昼だからということで、通勤や通学の人たちの姿がないのかもしれない。でも、一般人もいなさすぎる。
 これといった商業施設もなさそうだ。

 昨日ルドルフ大公殿下のことを書いたが、しかしここにもデンカはあった。
 デンカ違いだが。

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 ローソンを見つけたときには、思わずうれしくて朝食用の鮭ハラスのおにぎりと、何もわざわざここで買わなくてもいいのにセブンスターを買ってしまったほどだ。

 ローソンの入り口は駅、つまり街とは反対側の県道(?)に向いていた。
 デンカもこの道に面していた。
 この道はこの時間でもそこそこ車の通行量があった。

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 無造作に置かれている不思議な看板を発見。
 青い色したコーナー?

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 いや、わかってますって。意味は。

 このあと私は駅に戻り、ただただボーっと電車が来る時間を待った。

Nono  こちらは刺激たっぷりのスペインもの

 ノーノ(Luigi Nono 1924-90 スペイン)の「フェデリーコ・ガルシーア・ロルカへの墓碑銘(Epitaffio per Federico Garcia Lorca)」(1952)から、第1曲「わが心のスペイン(Espana en el corazon)」。
 ゲンダイオンガクである。

 ノーノは12音音楽で第2次大戦後の前衛音楽の牽引役となった人。
 初期の作品は政治的だったが、“1980年代の音楽は、高度な洗練をみせるようになった”と言われる*)

 「墓碑銘」は、「わが心のスペイン」「そして彼の血はもう歌っている」「追憶-スペイン民間警察兵の物語」の3曲からなる、語り手とソプラノ、バリトン、シュプレヒコール、合唱、管弦楽のための作品。

 シュプレヒコールとは、なにやら穏やかではない。
 そう。実際、穏やかじゃないのだ。

 「ガルシア・ロルカとネルーダの詩によるソプラノ、バリトン、シュプレヒコール、器楽のための習作」という副題をもつ第1曲「わが心のスペイン」は、さらに「午後」「戦争」「薔薇のカシーダ」の3曲からなる。
 このうち「戦争」はネルーダの詩、両端の2曲はロルカの詩による。

 ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団、同合唱団、トレクスラーのソプラノと語り、ハーゼロイのバリトンと語り、の演奏で。

 1976,77年録音。ドイツ・シャルプラッテン。
 
 この不可解で不気味な前衛音楽に、あなたの耳は耐えられるか?

 でも、しばしばとても美しい響きを放つ曲でもあるのだ。

 *) ロバート.P.モーガン「西洋の音楽と社会11 現代Ⅱ 世界音楽の時代」
    (長木誠司監訳:音楽之友社1997年)