寒くないのか?って、話どころじゃなく……
土曜日の朝のこと。
いつものようにアサイチで散歩をかねてスーパーに行った。
なぜなら、特に買うものはなかったのだが、なんとなく買いたいものがあったからである。
途中、大きな通りの歩道を歩いていたら、年のころははたちでくらいのとても背の高い青年が、この季節にはそぐわないTシャツ姿で何をするでもなくうろうろしていた。
もちろん私の友だちでもなんでもない。初めて目にする人物だ。
なにか嫌な予感がしたが、たいていの場合私の嫌な予感は当たる。良い予感なら浮かびもしないのに……
ブラウン運動のような動き
無精ひげを生やした長身のその青年は、先の方へ小走りに行ってしまったかと思うと、くるりと向きを変え、今度は私の方へ戻って来て、私の左前方約45度、2メートルほどの距離で立ち止まり、私をうつろな目で見つめて言った。
「お、お、おは よぅ……」
この場で彼を無視するとひどいことが起りそうな気がした私は、バッテリーが切れかかっている上に音声ミュートスイッチをONにしたペッパーくんのように答えた(ミュートスイッチがあるかどうかは知らないが)。
「おはよう」
「ね、ねぇ、ど、ど、どこ行くの?」
「 買い物」
「い、い、いってらっしゃぁ~い」
私はひきつった微笑を返して、振り返らずに歩みを進めた。
よかった。いっしょに行っていい?って言われなくて。
しかも、幸いなことに彼は追って来なかった。
ふぅ~。けっこう怖いものがあった。
小学校のころ、家の庭に迷い込んできた野良犬に面白がってオンコ(イチイ)の実を食べさせたら、よっぽど腹が減っていたのか、その犬は私から離れようとしなくなった。そのときの恐怖に通じるものがあった。
私はオンコの実を十数粒まとめて遠くに投げ、奴がそれを追いに行ったすきを見て家に入ったが、しばらくの間その犬はウチの玄関の前で狛犬のように座っていた。もちろんこちらを向いて。
ところでオンコの実の中心にある種子には毒があるというが、あの犬はそのあと腹が痛くならなかったのだろうか? 容器がないので特大に
ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の交響曲第49番ヘ短調Hob.Ⅰ-49「受難(La passione)」(1768)。
過去、ゴバーマン盤とコープマン盤を取り上げているが、今日はドラティ指揮フィルハーモニア・フンガリカの演奏を。
1969年録音。デッカ。
貴重であり偉業でもあるドラティのハイドン交響曲全集である。
なんとなく買いたかったプリンミクスを、スーパーで2箱買った。1箱税込159円だった。
価格が意外と安いこともそうだが、この商品がきちんと現役で、あたりまえのように棚に並んでいることにある種の感動を覚えた。
記事で、ものの例えでプリンミクスのことを書いたら無性に食べたくなってしまったという、ミイラとりがミイラになったような話だ。やれやれ。
スーパーからの帰り道。
またあの青年に遭遇したら厄介だと思い(何を買ってきたの?とか聞かれるに違いない)、回り道をした。
初めて通る道だったが、おかげさま(?)で、梅が咲いているのを見ることができた。
プリンミクス1箱でプリン4個分ができる。
私はハッピー・パウダーともいうべきあま~い香りの粉をお湯で溶き、レシピ通りさらに水を加えた。
このとき、プリンの型がないことに気づいた。当たり前だ。単身赴任生活において、キッチンにプリンの型が準備されていたら、その方が気持ち悪い。
でも、災い転じて福となすじゃあないが、特大プリンができた。
ちょっぴり貧乏くさいが(味も形も)、懐かしくてじゅうぶんおいしかった。