《前回のあらすじ》
4日が終わり、いよいよいくらを食べる朝が来た。
久しぶりにスイハ~ン!
名古屋に戻った翌朝、私はご飯を炊いた。
前日のうちに“ゆめぴりか”をタイマーでセット。日本語で言うなら予約炊飯を決行したわけだ。
ご飯はものの見事においしく炊き上がった。
これもひとえに、21世紀における北海道米の驚くべき食味向上と、私が水の量を内釜に描かれた水位線に忠実に従ったことによる。
そしてもちろん、痛風発作が起こるリスクを顧みず、いくらをたっぷりのせたのだった。
真っ白いご飯の上に宝石のように輝くツブツブたち。
これを口に含んだときのこの瞬間は、まぁどんな宝石よりも勝る価値があると言えるだろう。本物の宝石を噛むと歯が欠けるだろうし……
実際、この商品はひどくおいしかった。
これを自力で生産できるメスの鮭に私はなりたいと思ったほどだ。
新千歳空港オリジナルなるこの佐藤水産のいくら醬油漬けは、妻が買ったものと味は同じだった(少なくとも私には違いがわからないほど、どちらもおいしい。
ご飯茶碗に盛ったごはんの上でいくらが輝きを放っている写真を撮ったものの、あまりの輝きで露出オーバーになってしまった。というのはウソに決まっていて、なぜか撮った写真が(ほんの数日前のことなのに)パソコン内に見当たらない。部屋を舞うコバエを退治しようとしたときに、間違って写真を削除してしまったのかもしれない(通常ではありえない関連性の薄さだが)。
もっともこれで私がドラえもん柄のご飯茶碗を愛用しているかもしれないことがばれずに済んだ。
だが、下にリンクした佐藤水産のホームページの写真のような光景が、まさに私のこの寒々しいマンションの一室で実現したことを報告しておく。
ヴォルフ=フェッラーリ(Ermanno Wolf-Ferrari 1876-1948 イタリア)の歌劇「マドンナの宝石(聖母の首飾り。I gioielli della Madonna)」(1911初演/改訂1933)。
E.ゴリシアーニとC.ツァンガリーニの台本による3幕のオペラ。
ジェナーロは、愛するマリエラに聖母像の宝石の首飾りを持ってきたら結婚してあげると言われ、首飾りを盗むがそれが世間にばれてしまい、罪を償うために海に飛び込んで死ぬ、という筋書き。
このことでわかることは、マリエラってのはとんでもない女だということだ(考え方には個人差があります)。
いずれにしろ、世の中の真理恵らには気をつけた方がいい。
第2幕と第3幕の前に演奏される間奏曲が特に有名だが、今日はオペラの全曲を。
ハイダー指揮スロヴァキア放送交響楽団、ブラティスラヴァ少年合唱団、プレスブルグ・シンガーズ、スロヴァキア・ナショナル・オペラ合唱団他による演奏。
この作品の全曲を、私は最近になって唯一このディスクで聴いたので他の演奏とは比較できないが、悪くない、いや良い気がする。
長年クラシック音楽を聴いてきているので、こういうのってけっこう当たる(はずれることもあるけど)。
というよりも、他の演奏も何も、次のようにタワレコのオンラインショップで書かれていることを知った。
イタリアの作曲家ヴォルフ=フェラーリ(1876-1948)の代表作「マドンナの宝石」。クラシックの小品として有名な第2幕への間奏曲は、かのポール・モーリアや、大指揮者カラヤンがこよなく愛し、度々録音を行ったために広く知られるようになった美しい曲。とは言え、本作の録音がオペラ全曲の正式な世界初録音となるほどに、実際の上演を体験する機会はほとんどないレアな作品となっている。実は内容もかなり陰惨なもので、その時代を席巻した"ヴェリズモ・オペラ"の典型的な作品。リヒャルト・シュトラウスや、ベルカント・オペラを得意とする指揮者フリードリヒ・ハイダーが美しく全曲を纏め上げている。2015年スロヴァキア録音。
つまり、これがオペラ全曲の正式な世界初録音なんだそうだ(←しつこいか?)。
知らんかったです。気づかんかったです。
2015年録音。ナクソス。
レーザー⇒交換⇒交歓⇒鯛重⇒生姜
いくらご飯を朝食にした私は、そのあと粒の皮が歯に挟まっていないよう丹念に歯磨きし、まずは歯科医院に行った。が、スタッフの誰1人として「おめでとうございます」とは言ってくれなかった。
まあ、「おめでとうございます」は医療機関にはあまりそぐわない挨拶であることは確かだ。下手に愛想をふると、歯が痛いのにおめでたいとは何ごとだと怒り狂うじいさんとかが現われそうで、そうなったらひじょうに厄介だからだ。
幸い正月中は歯ぐきが晴れることもなく穏やかかだったことを医師に告げ、いつものようにレーザー治療。
そのあとはまずは賀詞交換会。
ついで賀詞交歓会。
2番目の賀詞交歓会の方は、特にお世話になっている人たちへ挨拶を終えると、乾杯の儀式のあとに伏草課長と会場をあとにした。
ものすごい人数で、ここにいてもせいぜい豚の肉片1かけか、4cm角のツナサンドイッチ1枚しか口に入らないだろうと察した伏草課長の粋な配慮で、2人で錦にある鯛料理専門店に行った。
1時を過ぎていたせいか、他に客はいなかった。
1時を過ぎていたせいにしても、他に客がいないのは不思議な気がした。
そもそも入口をみても、営業しているのかどうかわかりにくいせいかもしれない。知る人ぞ知る店って感じだ。
ここでランチの鯛めしを食べる。
鯛めしというと、鯛の身が入った炊き込みご飯を想像してしまうし、はっきり言ってあれはひどく苦手だ。なぜなら鯛臭いからである。魚の癖がもろに私を襲うからである。
しかしさすがは伏草課長。私の苦手なものを知っている。
ここの鯛めしは炊き込みではなく、鯛で作ったでんぶ(そぼろ)をお重に入ったご飯(しょうゆ味でととのえられている)の上にびっしりと敷き詰めたもの。
まるで毛蟹のほぐし身のような色合いで、実に繊細かつ軽量なでんぶ。これは作るのに手間ひまがかかるだろう。
惜しいのは食べ進むうちに味が単調であると思わざるを得ないこと。
おかずとなるものは漬物だけ。ほかに例えば昆布の佃煮とかがあれば良いのにと思った。
単品メニューでほかの料理をおかずに頼めば一気に解決するのだろうが……
ちなみに値段もなかなかよろしかった。食材と職人の技のことを考るとこのくらいになるのはしょうがないのだろう。
そのあと伏草課長と別れた私は、マツザカヤへ。
自宅で妻が飲んでいるショウガのドリンク(シロップ)“
飲む生姜の力”を買うため、セゾンファクトリーに行った。
ガリなどよりこちらの方が手軽にショウガを摂取でき、滋養強壮、産前産後に良さそうだと思ったからだ。
実際、飲むと飲みやすいのにショウガそのものの味がけっこう強く口の中に広がる。
私は名古屋でも買ってしばらく続けてことにしたのだ……一応、もう続かない
4日が終わり、いよいよいくらを食べる朝が来た。

名古屋に戻った翌朝、私はご飯を炊いた。
前日のうちに“ゆめぴりか”をタイマーでセット。日本語で言うなら予約炊飯を決行したわけだ。
ご飯はものの見事においしく炊き上がった。
これもひとえに、21世紀における北海道米の驚くべき食味向上と、私が水の量を内釜に描かれた水位線に忠実に従ったことによる。
そしてもちろん、痛風発作が起こるリスクを顧みず、いくらをたっぷりのせたのだった。
真っ白いご飯の上に宝石のように輝くツブツブたち。
これを口に含んだときのこの瞬間は、まぁどんな宝石よりも勝る価値があると言えるだろう。本物の宝石を噛むと歯が欠けるだろうし……
実際、この商品はひどくおいしかった。
これを自力で生産できるメスの鮭に私はなりたいと思ったほどだ。

ご飯茶碗に盛ったごはんの上でいくらが輝きを放っている写真を撮ったものの、あまりの輝きで露出オーバーになってしまった。というのはウソに決まっていて、なぜか撮った写真が(ほんの数日前のことなのに)パソコン内に見当たらない。部屋を舞うコバエを退治しようとしたときに、間違って写真を削除してしまったのかもしれない(通常ではありえない関連性の薄さだが)。
もっともこれで私がドラえもん柄のご飯茶碗を愛用しているかもしれないことがばれずに済んだ。
だが、下にリンクした佐藤水産のホームページの写真のような光景が、まさに私のこの寒々しいマンションの一室で実現したことを報告しておく。
ヴォルフ=フェッラーリ(Ermanno Wolf-Ferrari 1876-1948 イタリア)の歌劇「マドンナの宝石(聖母の首飾り。I gioielli della Madonna)」(1911初演/改訂1933)。
E.ゴリシアーニとC.ツァンガリーニの台本による3幕のオペラ。
ジェナーロは、愛するマリエラに聖母像の宝石の首飾りを持ってきたら結婚してあげると言われ、首飾りを盗むがそれが世間にばれてしまい、罪を償うために海に飛び込んで死ぬ、という筋書き。
このことでわかることは、マリエラってのはとんでもない女だということだ(考え方には個人差があります)。
いずれにしろ、世の中の真理恵らには気をつけた方がいい。
第2幕と第3幕の前に演奏される間奏曲が特に有名だが、今日はオペラの全曲を。
ハイダー指揮スロヴァキア放送交響楽団、ブラティスラヴァ少年合唱団、プレスブルグ・シンガーズ、スロヴァキア・ナショナル・オペラ合唱団他による演奏。
この作品の全曲を、私は最近になって唯一このディスクで聴いたので他の演奏とは比較できないが、悪くない、いや良い気がする。
長年クラシック音楽を聴いてきているので、こういうのってけっこう当たる(はずれることもあるけど)。
というよりも、他の演奏も何も、次のようにタワレコのオンラインショップで書かれていることを知った。
イタリアの作曲家ヴォルフ=フェラーリ(1876-1948)の代表作「マドンナの宝石」。クラシックの小品として有名な第2幕への間奏曲は、かのポール・モーリアや、大指揮者カラヤンがこよなく愛し、度々録音を行ったために広く知られるようになった美しい曲。とは言え、本作の録音がオペラ全曲の正式な世界初録音となるほどに、実際の上演を体験する機会はほとんどないレアな作品となっている。実は内容もかなり陰惨なもので、その時代を席巻した"ヴェリズモ・オペラ"の典型的な作品。リヒャルト・シュトラウスや、ベルカント・オペラを得意とする指揮者フリードリヒ・ハイダーが美しく全曲を纏め上げている。2015年スロヴァキア録音。
つまり、これがオペラ全曲の正式な世界初録音なんだそうだ(←しつこいか?)。
知らんかったです。気づかんかったです。
2015年録音。ナクソス。
レーザー⇒交換⇒交歓⇒鯛重⇒生姜
いくらご飯を朝食にした私は、そのあと粒の皮が歯に挟まっていないよう丹念に歯磨きし、まずは歯科医院に行った。が、スタッフの誰1人として「おめでとうございます」とは言ってくれなかった。
まあ、「おめでとうございます」は医療機関にはあまりそぐわない挨拶であることは確かだ。下手に愛想をふると、歯が痛いのにおめでたいとは何ごとだと怒り狂うじいさんとかが現われそうで、そうなったらひじょうに厄介だからだ。
幸い正月中は歯ぐきが晴れることもなく穏やかかだったことを医師に告げ、いつものようにレーザー治療。

ついで賀詞交歓会。
2番目の賀詞交歓会の方は、特にお世話になっている人たちへ挨拶を終えると、乾杯の儀式のあとに伏草課長と会場をあとにした。
ものすごい人数で、ここにいてもせいぜい豚の肉片1かけか、4cm角のツナサンドイッチ1枚しか口に入らないだろうと察した伏草課長の粋な配慮で、2人で錦にある鯛料理専門店に行った。
1時を過ぎていたせいか、他に客はいなかった。
1時を過ぎていたせいにしても、他に客がいないのは不思議な気がした。
そもそも入口をみても、営業しているのかどうかわかりにくいせいかもしれない。知る人ぞ知る店って感じだ。
ここでランチの鯛めしを食べる。
鯛めしというと、鯛の身が入った炊き込みご飯を想像してしまうし、はっきり言ってあれはひどく苦手だ。なぜなら鯛臭いからである。魚の癖がもろに私を襲うからである。
しかしさすがは伏草課長。私の苦手なものを知っている。
ここの鯛めしは炊き込みではなく、鯛で作ったでんぶ(そぼろ)をお重に入ったご飯(しょうゆ味でととのえられている)の上にびっしりと敷き詰めたもの。
まるで毛蟹のほぐし身のような色合いで、実に繊細かつ軽量なでんぶ。これは作るのに手間ひまがかかるだろう。
惜しいのは食べ進むうちに味が単調であると思わざるを得ないこと。
おかずとなるものは漬物だけ。ほかに例えば昆布の佃煮とかがあれば良いのにと思った。
単品メニューでほかの料理をおかずに頼めば一気に解決するのだろうが……
ちなみに値段もなかなかよろしかった。食材と職人の技のことを考るとこのくらいになるのはしょうがないのだろう。
そのあと伏草課長と別れた私は、マツザカヤへ。
自宅で妻が飲んでいるショウガのドリンク(シロップ)“
ガリなどよりこちらの方が手軽にショウガを摂取でき、滋養強壮、産前産後に良さそうだと思ったからだ。
実際、飲むと飲みやすいのにショウガそのものの味がけっこう強く口の中に広がる。
私は名古屋でも買ってしばらく続けてことにしたのだ……一応、もう続かない