《前回のあらすじ
 新千歳空港でサトウのごはんではなくいくらを、そして本場オランダよりもおいしい中標津産のゴーダチーズを買った私は、数々の障壁を潜り抜けANAラウンジへと潜入した。

WagnerMata  必ずある盲点場所
 混み合ったラウンジにいても落ち着かない。
 なので私は水を1杯飲んで(こういう場所では私はビールやハイボールは飲まない)、早々に一般の搭乗待合室に移動した。

 搭乗待合室も混んではいたが、こういうときでも必ずガラガラの場所があるものだ。
 つまりしばらくは出発便がないゲートの周辺である。

 私はほとんどJAL側の(というよりも椅子の色がブルーではなくグレーだったので、ほぼJALのなわばりだったかもしれない。ついでにいうと、ゲートナンバー10Bもしくは11(JALのエリア)の前にあるトイレは近頃改修され、たいそう快適になった)、エアポケットのようにすいている場所で、何もすることがない人のように、ボーっと座って時間をつぶした(実際何もすることがなかったのだ)。

 私が乗る飛行機は搭乗口10番からの出発である。
 先ほどその前を通ったが、まだ先に出発する便(福岡行き)が占拠していて、しかも搭乗が始まってなかった。

 そこには次発便の案内で、名古屋便は10分出発遅れと表示されていた。
 なのに、ANAからそのことを告げるメールは届いていなかった。


 その少しあとに携帯がギュイ~ンと震えた。

 おやおや、珍しく連絡が遅いなぁとメールを開くと、それは出発遅延の案内ではなく、搭乗口変更の案内。

 新しい搭乗口は5番だそうだ。


 なんかいや~な雰囲気だ。

 12月25日の状況に似てきた。輪廻だ。転生だ。


  嫌な兆候
 と、アナウンスが。羽田便が90分遅れるというものだった。

 私に羽田便は関係ないが、負の連鎖は十分に起こりうる。
 そもそも私が乗る予定の名古屋便が10分遅れるというANAからの案内メールがまだ来ないということは、10分どころの遅れに収まらないので躊躇しているせいじゃないだろうか?
 疑心暗鬼になる。

 私は孤独な遊牧民のように5番搭乗口の前に向かった。

 ワーグナー(Richard Wagner 1813-83 ドイツ)の歌劇「さまよえるオランダ人(Der fliegende Hollander)」(1841/改訂'46/最終版'60)の序曲

 さまよえるオランダ人とは、神との約束を破ったために自分に貞節を捧げる女性が現われるまで海をさまよわなければならないというバツを与えられたオランダ人船長のことである。

 そんなことはさておき、この序曲はとても有名で、演奏会でも単独で演奏される機会が多い。

 今日はマタチッチ指揮のNHK交響楽団の演奏を。

 1965年に初来日したマタチッチは、郷ひろみのあっちっちが流行るずっと前ということもあって、日本ではほとんど無名。が、その見事な指揮にみんな驚かされ、1967年にはN響の名誉指揮者に就任したほどだった。

 その後は頻繁に来日しN響を指揮。
 オペラ指揮者としての定評があり、このワーグナーも派手さはないががっちりとした安定感のある演奏だ。

 1968年録音。DENON。

 5番搭乗口の前で再びボーっとしていると、意外と時間が早く経ち、もうすぐ搭乗案内があるかなという時刻に。

 そのときである。

 出発がさらに10分遅れるというANAからのメール→アナウンス→電光パネルの表示変更(今度はメールが来た)。


 まあいい。10+10で20分の遅れ。

 90分遅れの羽田への人たちに比べるとお子ちゃまのようなものだ。


 そしてこのあとは追加遅延もなく、搭乗させてもらうことができた。

 が、乗ってもなかなか動きださず、動いてもなかなか飛び立たず……


  兆候は現実に
 結局、中部セントレアには45分遅れで到着。


 使用機遅れ20分、新千歳空港の出発便混雑で25分の遅延。

 20分+25分=45分。計算は合う。
 ぶっ飛ばしてもう少し遅れを回復して欲しかったところだが、待機時間が長かったので燃料が潤沢じゃなかったのかもしれない。

 ミュースカイに乗り、地下鉄に乗り換え、すっかり暗くなった坂道を下ってマンションの部屋に戻ると、部屋の中は13度。

 暖房ぬくぬくの自宅より10度低い。

 エアコンをフル回転させても、全然暖まらない。


 なんだかひもじい。手も足も冷え冷え。股も熱くなんてない。

 こうして2017年の名古屋生活がスタートしたのだった……まだ続く