肉は120gでがまんしたが、ご飯は大盛りってしまった
月曜日の午前中は若園課長と池中さんと岐阜に出張。
昼は若園課長お薦めのトンカツ屋に行った。
カツがやわらかいのはカツ専門店として当然といえば当然のことだが(しかし私にはその昔、牛タン専門店で噛みきれないほどかたくて弾力のある牛タンを出された経験がある)、軟弱なやわらかさではなく肉を噛んでいるという確かな歯ごたえと、自分が草食動物でなくてよかったと喜びを感じさせてくれるもの。
残念だったのは、ワケあって、私はなるべく右側の歯で噛むようにしなければならなかったことだ。
そしてまた、ここのカツはまったく脂っぽくない。
食べた直後、30分後も、数時間後もまったく胃が重くならない。
私の世代にはもちろんのこと、おじいさんやおばあさんにも優しくにっこり笑顔のトンカツ屋だ。
夜も肉!けど赤身に徹する
昼過ぎに一度支社に戻り、今度は上原課長と松阪へ。
現地で千葉課長と三城係長と合流し食事。
焼肉へGo。
脂っこくない昼食のおかげで、ボク、全然平気モード。
松阪といえば松阪牛であり、この店ももちろん松阪牛が売り。
が、私はといえばメニューの最初のページ載っている最強ラインナップには見向きもせず、2ページ目に写真もなく客観的に書かれている1人前680円のハラミに終始した(タンとロースも食べたけど)。若い三城係長はまっ白い上カルビなんぞを焼いていたが、ボク、ちっともうらやましくなんかなかったもん。
このハラミ、味付けがとても美味しく(平和園のロースの味付けに似ていた)、オッサンは赤身に限ると自分の選択に酔った。そしてまた、焼肉を食べた後に陥りがちな、胸焼けは一切起こらなかった。
しかし、ここでの失敗は、ご飯を頼まなかったことだ。
三城係長がご飯を注文したとき一緒に頼めばよかった。けど、千葉課長に軟弱者と言われそうなのでがまんした。
その千葉課長は25日はクリぼっちだったはずだ。
だからチキンを食べられなかっただろうと鶏肉を勧めたのだが、鼻であしらわれた。
ご飯を頼まなかったバチがあとでジワリと効いてきた。
肉こそ食べたが、腹がはち切れそうなほど食べたわけではない。
すきっ腹じゃないが、酔いが回りやすい状態だったことは確かだ。
焼肉店を出た後、まだ時間が早いからと得体の知れない居酒屋に入った。
ちょっと寒かったので、千葉課長が唇をとがらせて美味しそうに飲んでいる得体の知れない燗酒を出来心で飲んでしまったが、そのあとは注ぎ上手の千葉&三城。
私も上原課長もすっかり記憶がつぎはぎだらけになってしまった。
ウインナーの切り込み傷の光景が記憶に残っていたのだが、どうやらその店でウインナー炒めを頼んだらしい。
手堅い職人のよう
それはそうと、2016年昇天音楽家の今日は指揮者編。
昨日の作曲家でも名前があがったブーレーズの他、ロバート・クラフト、ネヴィル・マリナー、クルト・マズアなどがお亡くなりになった。
宇野功芳氏も亡くなっているが、私は氏が指揮する演奏を耳にしたことがないし、私にとっての宇野氏は音楽評論家でしかない。
また、“レコード・イヤー・ブック”では、クラフトのことを“アメリカの指揮者で指揮者”って書いているが、男の中の男ならぬ、指揮者の中の指揮者って意味か?いや、間違いですね、単に。
お亡くなりになった指揮者を代表いたしまして、お一方をご紹介。
マズアの演奏である。
マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第7番ホ短調「夜の歌(Lied der Nacht)」(1904-05)。
奇をてらったところのない、ほめ言葉としてオーソドックスというのがふさわしい演奏。
安心してこの曲の音の洪水に浸ることができる(過去記事は→こちら)。
そしてまた、マズアという指揮者はこのGM7に限らず、どのような作品に対しても派手なことやトリッキーなことをしないが、実に誠実な指揮をする人だったと言えるのだろう。
オーケストラはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。
1982-83年録音。ドイツ・シャルプラッテン。
少し前に(あれは討ち入りから2日後、クリスマスの9日前の仏滅の金曜日のことだった)名古屋銀行のローンカードのことを話題にした。
話題にするからにはもちろん多少は商品知識を得るためにネットで検索し調べた。
が、そのあとはネットを使っているとこのバナー広告が必須で表示されるようになってしまった。
くまったなぁ……


