
先週の半ばにセントレアから新千歳空港へフライトしたわけだが、本日がまさに本番であるクリスマスの前だっただけあって、そのときすでに機長はサンタの格好をしていた、というのはウソで(名前が三太でもなかったと思う)、搭乗待合室にはクリスマス・ソングやそのアレンジヴァージョンがメドレーのように次から次へと流れていた。
繰り返しずっと流れているので、あそこで仕事をしていて絶えずそれを耳にしなければならないANA FESTAの店員さんは頭がおかしくなってしまわないのだろうかとちょっと気の毒かつ心配になったほどだ。
そのなかに陽気な「ジングルベル」をいっそう陽気に目まぐるしっぽくアレンジした曲があった。
これ、前の週に静岡に出張したときに浜名湖SAでも耳にした。
駐車場に向けてスピーカーからがさつな音で発散されていたのだが、あまりにもがさついていたために最初は何の曲かわからなかったほどだ。地元出身の演歌歌手による「神宮流部留」とかいった名の曲のカラオケかもしれないと勝手な判断をしたのだが、ややすると、おやまあ、「ジングルベル」じゃないか、粋なことしやがるわい、と、その季節に合わせた配慮にやや感心した。
わからなかったのは伏草課長も同じだったようで、それはクラシック音楽だと思ったようだ(広い意味では「ジングルベル」もクラシック音楽に入らないでもない)。
「クラシックに詳しいMUUSANなら、こういうのを聴いてもすぐ何の曲かわかるんですよね?」と彼は聞いてきた。
「はい。これはわかります。ジングルベルです」
彼は『ミスターNo』に頭突きされた石燈籠のようにキョトンとした。
キョトンとしたが、ほどなくして「ジングルベル」ということを彼自身も無事認識し初日の出のように明るい表情になった。
ちなみに「ジングルベル(Jingle Bell)」はイギリスの牧師・ピアポント(ピエールポント)が、自分が神と交流する場としていた教会で歌うために1857年に作詞作曲したものである。
高速道路のサービスエリアでもセントレア空港でも流れていた、この走馬灯風ジングルベル。
今年流行っているということだろうか?
誰もが知ってる(←言葉のアヤッてもんです)セミ・クラシックの名曲
そのあとにかかったのはアンダーソン(Leroy Anderson 1908-75 アメリカ)の「そり滑り(Sleigh ride)」(1948)だった。
そりで滑ることはクリスマスと直接関係ないが、それはボブスレーやリュージュの場合。
アンダーソンの「そり滑り」とクリスマスの関係は私には明らかにされていないが、鈴の音や馬のいななきの擬音が使われているということは、これは馬そりをイメージしたものであり、少なくともクリスマスっぽくなくはない。
だが、アンダーソンの曲ということで言えば、この日の私はむしろ「シンコペイテッド・クロック(The syncopated clock)」(1945)の気分だった。
「シンコペイテッド・クロック」の邦題は-ほとんど誰も使わないと思うが-「狂った時計」。つまり狂った時計を描いているわけだ。そのまんまだけど。
で、この日の朝、マンションの洗面台の近くに置いてある時計が、10:40を指していた。
実際には“あさチャン!”が始まったばかりの時刻なのにである(この時間帯、やけに金ちゃんヌードルのCMが流れる。北海道の人にとってはまったく知らないCMだろう。東海地区の人にとっては北海道では金ちゃんヌードルが売られていないなんて知らないことだろう)。
秒針は進むでもなく、かといって完全停止するわけでもなく、ピクピクと足踏み痙攣状態。
まさに病身だ。
自力で先に進めないとわかったなら、いっそのこと完全に止まってほしい。まるで臨終前の脈拍のようで、朝からまったく明るくない気分になってしまった。
アンダーソンの作品集で、今日はフェネル/イーストマン=ロチェスター・ポップス管弦楽団のものを。
「シンコペイテッド・クロック」は1958年、「そり滑り」は1956年の録音。すっごく古い録音ってことになるが、さすがマーキュリー。いまから60年前の録音とは思えないサウンドが広がる。
小さいバ・ナ・ナッ
外はすっかり雪景色。
今年北海道を担当するトナカイはそりがよく滑るだろうから楽だろう。
部屋の中では、ちょいと汚らしい様相だが、モンキーバナナが順調に育っている。
いや、順調だったらもっと大きくなっているのかもしれない。だいいち、花も実もつける気配がないし。
けど株元から子供が芽を出してきている。
なお、葉にある白い斑点は、ハダニが発生したため、それを窒息死させるために私が牛乳を薄めたものを噴霧した痕である(乾くとハダニは固まった牛乳によって身動きできなくなるうえに窒息すると言われている)。