1週間がんばるぞ!← X
月曜日の朝のことである。今度の、ではなく、このあいだの。
朝、会社に向かって車道ではなく、きちんと歩道を歩いていて、ふと晴天の空に目を向けると、そこには大きなバッテン印が!
1週間の始めの、それも始業開始前から私のこの1週間の生き方を否定されたような気分だ。
あの女子中学生よりも、ある意味、私は悲惨だ。
が、珍しい部類に入るのではないかと思い(私の不幸ではなくバッテン印が)、携帯電話で写真を撮った。
歩道に立ち止り、前方から接近してくる通行人や後方から迫ってくる通行人からの、奇異に思っているに違いない見て見ぬふりをしながらも鋭い視線の中、このような行為にでることは勇気がいるし、なかなか恥ずかしいものがある。
これだけでもじゅうぶん恥ずかしいし、何か悪いことをしているような気分になるのに、明らかに悪いことをしていて、愚かでバカで恥ずかしいにもほどがある、おでんツンツン男の精神構造がさっぱり理解できない。
ホントに頭のどこかがおかしいんじゃないかと思ってしまう。
写真を加工したのではなく、
これは正真正銘の飛行機雲。
たまたまあっちからこっちへ行く飛行機と、こっちからあっちへ行く飛行機が2次元で見れば重なってこのようにクロスする飛行機雲を目にすることができたのだった。飛行機の姿は確認してないけど……
三善晃(Miyoshi,Akira 1933-2013 東京)の、吹奏楽のための「クロス・バイ・マーチ(Cross-byMarch)」(1992)(ここで紹介するCDではこの標記だが、「クロス・バイ マーチ」という記述も見られる)。
1992年度の全日本吹奏楽コンクールの課題曲として書かれた(課題曲C)。
∴ 吹奏楽のための作品である。
この曲について、CDのライナーノーツには、三善晃自身が“吹奏楽のいわゆる〈マーチ〉を複数の主題動機で重奏的に組み立てる構造が聴かれよう”と書いている。
またこの解説のなかで、片山杜秀は、
ここでの三善は、いわゆるシリアスな系統の作品ではあまり見せることはないが、アマチュア用の合唱曲や劇伴音楽などではよく覗かせる顔-ストレートな旋律とリズムに身を委ねようという姿勢-を前面に出している。
……(中略)……
『クロス・バイ・マーチ』は、1992年の吹奏楽コンクール課題曲として作曲された。三善は作品に寄せて、こう述べている。「クロス・バイの意味は行き交うということで、みんなが自由に歩みながら心を通わせ合っている風景を描こうとしたものです。それが2つのテーマの交錯や4拍子の中の3拍子といった作曲上の扱いにも表れています」……
と書いているが、つまりここでのクロスは、飛行機の2つの航跡がクロスしている(行き交ってる)という意味では何となく通じるものがあるが一緒だが、心を通わせ合っているという意味とは違うという現実が、いま私に突きつけられてしまっているわけだ。
聴いていてもじゅうぶんに感じるが、この作品は演奏がたいそう難しいようだ。
ネットで吹奏楽をやっている人の話を読むと、行進曲でありながら変拍子が続き演奏しにくく、演奏難度はエベレスト級らしい。
数ある課題曲の中からコンクールでこれを選択したら、そのチャレンジ精神にも少しは加点してあげたいと、私なら思う。
金洪才指揮の佼成ウィンド・オーケストラの演奏で。
伊福部昭の「マリンバとウィンド・アンサンブルのための『ラウダ・コンチェルタータ』」などとのカップリング。
1997年録音。佼成出版社。
なお、「マリンバとウィンド・アンサンブルのための『ラウダ・コンチェルタータ』」について、三善はこのライナーノーツの中で、
マリンバの打鍵が核となる〈運動〉に対して、吹奏楽が時には遠景となり、時には呼応し、時には拮抗する協奏=協働の形で、音楽そのもののエネルギーを生み出してゆく。
と書いている。
エックス雲から2日後の水曜日。
この日は“燃やせないゴミ”の収集日。
名古屋に来てから一度も“燃やせないゴミ”を出したことはなかったし、10Lサイズの袋もまだスカスカだ。
意外と“燃やせないゴミ”というのは発生しないものだ。この袋のメインも、割ったしまったカレー皿である。
が、もう年末だし、袋にはまだまだ入るからもう少し粘ろうなんてせこいことは言わず、日の出までまだまだ時間がある暗黒の早朝にごみステーションに行った。
不気味な月が低空に浮かんでいた。
さわやかな気分になれない朝となった。
ごめんなさい。まったくそういう意識がなく、14日の夜はまっすぐ家に帰り窓の外も見ず、おこもりしてました。確か……