BachVnSonata  勝手にわんこそばモード?
 一週間前の今日、の前の日、私は富山に行った

 上原課長とその部下である相場さん、そして池中さんと一緒。
 相場さんが運転する車で向かったのだった。

 富山のインターを下り一般道に入ったときには、ちょうど帰宅時間に重なったのか(私の、ではなく富山市民の)道路はやけに混んでいた。
 金沢もけっこう渋滞するが、富山も渋滞するということをこの日学んだ。

 おなかがすいていたが、先に進まない車の中でダダをこねても軽蔑されるだけだと思い、唾を飲んでがまんした。カバンにビスコをしのばせて来なかったのが悔やまれた。

 夜は、別件で富山に入っていた伏草課長と彼の部下である丸針さんと合流し、市内で食事をした。
 店に行く途中で、富山には市電が走っていることと、城があることを知った。

 その店は和食の店で、海の幸も山の幸もあった。

 刺身に関しては、私はイカ刺しを3本食べるにとどめた。
 煮魚については、伏草課長が頼んだタラの頭の首元(?)近くの身を1口分け与えてもらった。
 牛のたたきは美味しかったが、皆が平等に食べられるように1枚で抑えた。
 シーザーサラダも頼んだが、店を後にするまで出てこなかった。想像するに注文を取りに来た兄ちゃんがオーダーを繋ぐのを忘れたのだと思う。もし会計にその分も入っていたらその仮定は根底から覆るが、いまさら確かめようがない。そもそも、シーザーサラダが出てこなかったことに気づいたのは翌朝になってからだし。

 ホテルに帰る前に翌朝の食事用にと、私はセブンイレブンのおにぎりおかずセット(これはゴミもほとんど出ない秀逸なもので、帯広勤務時代も愛食した)と、この夜、〆にそばを食べたことを瞬時に忘れてしまい、セブンイレブン印のカップ天そばを買ってしまった。

 翌朝、そばを食べる気はみなぎって来ず、そのままカバンの中で名古屋まで搬送された。 
 まだ食べていないが、移送中に発泡スチロールで形作られたカップに亀裂が入っていないことを祈るばかりである。

  いつもより造りは高級かも
 ところで泊まったホテルはApaだったが、このApaはApaらしくないApaだった。
 おそらく別な経営だったホテルをあの女性社長が継承したのだろう。


 ルームキーはカードではないし、部屋は四角くなく壁がおしゃれなようで無駄に湾曲しているし、冷蔵庫の位置もカウンターテーブルの下ではなく部屋に入ってすぐのところにあった。
 エレベーターは札幌東急百貨店のようにガラス張りだ。

 以上、どこをとってもApaっぽくない。

 こういったことは宿泊するにあたって何ら障害になるものではないが(ただしベッドと壁の間に三日月状の隙間があり、そこにはまり込んだら脱出するのに難儀しそうだった)、どうも好きになれなかったのは立地。

 駅の近くに建ってはいるものの、車でストレートに行きつけない。大きな通りに面していないのである。
 大きな通りに面していないだけではなく、そこにつながる細い道もただ細いだけじゃなく、教習車なら前にも後にも動けなくなるようないくつもの角をクリアする必要がある。
 なんだかいかがわしい宿へ通じる道のようだ。いや、キョウビ、いかがわしい宿だって堂々とした場所に建っているような気がする。
 よくあんな場所にホテルを建設できたものだ。

 ということで、何となくへんな場所であり、ホテルに向かうときは前向きで開放的な気持ちになれない。


  “もりもり”より安くて美味い!
 翌日。つまり一週間前の今日は、昼前に富山で一件用務を済ませ、そのあと金沢へ。

 相場さんが事前に調べておいてくれた住宅街にある寿司屋へ行ったが、これが美味しかった。
 生々しい味わいの生魚が嫌いな私でも全然それを感じない。ハマチもまったく抵抗感なく、まるでロウを塗ったかのように私の喉から胃へと滑り落ちた。きっとこれが本来の新鮮な魚の味なのだろう。
 相場さんにはお礼にアーモンドチョコレートを1粒さしあげたい気分だ。


PA240348 そのあと金沢でもう1つの用があったが、そこもスムーズに終え、駅に向かうと14:48金沢発のしらさぎ12号に間に合う時間。

 これを逃すと1時間後。しかも米原止まりなので新幹線への乗り換えという行程になる。
 乗り換えるのは別にいいが、1時間後は嫌だ。
 このしらさぎ12号だって名古屋に着くのは18時近くになってしまうのだ。
 無事12号に乗れたのも、一重にこの日の金沢駅のみどりの窓口がすいていたおかげである。

  特急しらさぎの中で“こだま”を思う
 しらさぎの乗車時間は約3時間。


 帯広⇔札幌の“スーパーとかち”より少し長いくらいだが、なぜかこちらの方がやけに長く感じる。

 北海道のディーゼル特急は決して乗り心地が良いとは言えない。だからこの電車特急はそれよりも乗り心地が良いのが当たり前といつも思うのだが、しらさぎ号はエンジンの騒音こそないものの、ディーゼルと同じくらい乗り心地が悪い。
 左右に揺れるのはレールのせいだから文句はない。しかし途中の駅に停車したあと、発車するときのガッタンという前に引っ張られる衝撃はいただけない。むかしの客車か?と言いたくなる。“スーとか”などでもこんなことはない。

20151220sTokachi それとも、私が乗ったのがモーターを持たない付随車両(サハ)だったので、客車が機関車に牽引し始められた時のような衝撃を受けたのか?モハならなんでもないのだろうか?(ちなみに北海道のディーゼル特急はすべての車両にエンジンがあり、駆動系をもたない付随車はない)。

 乗車中に、さて夜の食事は何にしようかな?家に帰ってから舌平目のムニエルとアボカドのテリーヌを作るのは面倒だなと考えていると、駅弁を買って帰ってはいかがだろうか?という素敵かつ安易なアイデアが米原発車後のスイッチバックを契機として心の中で萌芽し、それは岐阜駅あたりですっかり繁茂し、ついには今日のみずがめ座B型の私は駅弁を買って帰る運命にあると確信するに至った。


 何を買うか?

 もちろん私のお気に入りの“こだま”である。これならハイボールのおかずにもなる。だって幕の内弁当なんですもの。

 いままで私の“こだま”に対する純粋なる愛について何度か取り上げたが、写真を載せたことはなかった。
 というのも、写真を撮るような環境下になかったからだ。

 今回は家に持ち帰ったわけで、ちゃんと写真を撮った。
 中身が片寄っているのは、帰りの地下鉄でかばんに縦に入れたからであり製造ミスではない。


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 自宅で食べる“こだま”も私の舌を満足させてくれた。

 あなたも、このときの出来心の私のようにバッハの無伴奏を聴きながら“こだま”(用意できない場合は他の幕の内弁当でも特別に可)を召し上がってみるとよい。
 なんだかすごくミスマッチなことをしている気分になれることは保証する。

 なお“こだま”を食するときの注意点を1つ。
 容器の中に入っているのはしょうゆではなくソースである。間違ってカマボコにかけないように気をつけた方がよい(カマボコはソースをかけて食べるのがいちばん、という人を除く)。


  作る方も弾く方もふつうじゃない
 バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(Sonatas and Partitas for solo violin)BWV.1001-1006(1720)。

 伴奏を伴わないヴァイオリンのみによる作品としては最高峰に位置する傑作かつ偉大作と言えるもので、以下の6曲からなる。


 1. ソナタ第1番ト短調BWV.1001(4楽章)
 2. パルティータ第1番ロ短調BWV.1002(4楽章)
 3. ソナタ第2番イ短調BWV.1003(4楽章)
 4. パルティータ第2番ニ短調BWV.1004(5楽章)
 5. ソナタ第3番ハ長調BWV.1005(4楽章)
 6. パルティータ第3番ホ長調BWV.1006(7楽章)


 この日聞いたのはE.ドラッカーの演奏によるもの。
 ドラッカーはエマーソン弦楽四重奏団の創設メンバーの1人である。


 私が持っているこの曲のディスクは2種類のみ。

 このドラッカーのものと、S.クイケンのものだ。


 クイケンの演奏(バロック・ヴァイオリンを使っている)は、速めのテンポでどちらかというとやや平たい顔属的な表現。

 一方ドラッカーはというと塩の結晶のような鋭さがあり、ルシウス・モデストゥスのように(良い意味で)くどく、ときにワイルドである。

 部屋に響き渡る力強い弦の響き。こういう作品こそ、ちょいとボリュームを上げると魅力が増す(実際、ヴァイオリンの音というのは大きなものだ)。

 私はこの演奏、好きである。

 NOVELLO。


 1本のヴァイオリンから紡ぎだされる複数声部の絡み合い。
 どうしてこんな曲が書けるのか、平凡なサラリーマンである私にはまったく理解できない。
 神業に匹敵するバッハ業だ。

 これは食事どきにはかなり合わない音楽だが、バカ業を見せつけられるよりははるかに消化吸収に寄与するはずだ。