ShostakoKegel  夜錦で夜勤?
  【やきん】
 ①夜勤 夜間に勤務すること
 ②冶金 鉱物から金属をとりだし、精製・加工などすること
 ③野禽 野鳥
 ④夜錦 夜の錦城に繰り出すこと
   以上、小学館 新選国語辞典より(④を除く)

 ということで、夜錦で夜勤した。勤めちゃいないんだけど……

 ちらっと匂わせたように、氷山係長とオディール・ホッキー君の2人、コンビ名アイシィ&オディールとである。


 ギガ速担担麺を売り物にしている(と私は勝手に信じ込んでいる)このお店、残念なことに長いこと、夜になって前を通っても、窓の中にはブラックホールのように深い闇が存在するだけだった。

 ところが11月の末に久しぶりに昼食で出向き、ギガ速で運ばれてくる担担麺(その前にはご飯と麻婆豆腐が運ばれてくる。ギガより早いテラである)をISDN通信並み(それが精いっぱい)のスピードで食べ、帰り際にこれまたギガ速で220円のお釣りを渡されるときに、「夜はもう営業してないんですか?」と聞くと、これまたギガ速で「やってるョ!」と答えが返ってきたので、この日、夕方ながらもすでに暗くなっている交差点で一緒になってしまった氷山係長と夜勤でもしますか?そうね夜錦でしょ?と満場一致し、行ってみたのだった。

 ウソはなかった。
 ブラックホールに通じる窓は、なかからシリウスのごときまばゆい光を発し、折からの強風で破れかけたのぼりがバタバタバタと喜びに満ちた犬の尻尾のように激しく動いて私たちを歓迎してくれた。

 で、そのときはいなかったオディール君もコンビ間の緻密なネットワークで居場所を突き止め、われわれに合流した。

  昼はサービス品だから?

 驚いたのは、昼は丸美屋風な味である麻婆豆腐が、夜に注文するとまったく別物の本格的なものに変貌していることだった。昼と夜とでジキル氏とハイド氏のように調理人が変貌するのだろうか?

 また、カニ玉は10玉パックすべての卵を使っているのではないかというくらいボリューミーで、あまりの玉子の厚さからカニの存在に気づかないくらいである。

 なお家禽(かきん)であるニワトリを使った棒々じ(←あなたはこのあとすぐに理解するだろう)は注文しなかった。


 で、最後に担担麺ではなく排骨(パイコー)麺を初めて食べてみたが、なかなかどーして、これをいちばんの売りにしてもよいくらいとっても美味しかった(酔っていたので3割引きくらいで読んでください)。

 ところで、写真はオディール君が店に入る前に撮った写真である。

Kinjo

                                                                                  Photo by Odile Hokky

 お得な(たぶん)セットのお品書きだが、なんとなくわかります。奴って“ぬ”に似てますもんね。


 ポテト!
 なんだ。この断定した言い方は?揚げか?サラダか?それとも生か?


 台キュウリに至っては何をミスした結果か皆目わからない、棒々じは棒くじみたいに見える。


 それにしてもダチョウ倶楽部のように3人で行動していると、もしかして陰で脱腸倶楽部とか言ってるぬがいないとも限らないと思ってしまう。が、そういう人にはっきり言いたい。少なくとも私は脱腸ではない。

  有名なフォーク歌手だったそうです
 ジキル&ハイドで思い出したが、ラジオ番組“オールナイトニッポン”で昔々、自切俳人という人がパーソナリティを務めていた。毎週木曜の深夜だったと思う。

 自切俳人は北山修の別名なのだが、そんなことは私にはどうでもよく、面白い番組だった。
 そして毎週、あるコーナーではショスタコの第5番の第2楽章冒頭が使われていた。


 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-1975 ソヴィエト)の、おそらくはもっとも有名な作品である交響曲第5番ニ短調Op.47(1937)。

 今日は超越解釈、奴さんもぬるっちゃう(って、意味はない)ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽による1986年ライヴ。

 なにが台5番的かというと、ここに書いたように、最後の最後、クライマックスで楽譜にはまったくない鐘の音が高らかかつ非調和に鳴り響くのである。

 そして最後の音が消え去ったあとの聴衆の恐ろしく冷めた拍手。

 ケー々゛ルさんはいったい何を訴えたかったのだろう。

 受け狙いだったら完璧なるスカ。深い意味を込めたなら、誰もその意味がわからない。

 いずれにせよ、望もうが望まないが、こんな奇演は他にない。


  あっ、今年の大みそかの夜はあの鐘を鳴らすのを聞けないから、これを聴くっていうのも一興かもしれない。