まとめたつもりがかえって混乱か?
さて1970年代後半の北海道内の急行列車。
実にたくさん走っていてわけがわからなくなりそうだが、札幌⇔苫小牧⇔函館では、函館⇔札幌の“すずらん”、洞爺・東室蘭⇔札幌の“ちとせ”があった。
“ちとせ”については日高本線の苫小牧⇔様似の“えりも”や伊達紋別⇔倶知安の“いぶり”を連結するものもあったし、ちとせ11号は、函館発のすずらん3号が途中の国縫で急行“せたな”と連結したものを、さらに東室蘭で連結し札幌へ走っていた。
函館からさらに南は、“松前”と“えさし”が木古内で連結、もしくは分割。それぞれ松前と江差発着であった。
滝川が要所
札幌から旭川、稚内方面だが、このときは石勝線が開通していなかったので帯広や釧路方面も滝川まで函館本線を走っていた。
幹線である札幌⇔旭川は“かむい”。“さちかぜ”も運行していた。
この写真は1990年代に撮ったもので、なにかの記念なのか711系が快速で運行されている。
2枚目の写真のように、かつて“かむい”はこの711系が投入されていた(他の急行と連結する便は気動車運行)。
711系は“赤電車”と呼ばれ、最後は惜しまれつつ引退したが、当時はこのように塗装が異なっていた。
札幌⇔網走の“大雪”は、一部は網走終着ではなく、そのあと釧網線を通って釧路まで行っていた。
また、“はぼろ”(幌延行)とともに札幌を出て深川で分割する便もあった。
深川も重要
留萌方面では“るもい”が幌延を普通列車で出発。留萌から急行になり深川で“かむい”と連結、旭川へ向かった。
“ましけ”は札幌⇔深川⇔増毛を走る急行だが、これも“かむい”と連結して札幌を出発。深川で切り離されるが、そこで“るもい”を連結するというものだった。
稚内へは当時宗谷本線のほかに天北線があり、宗谷本線は“宗谷”と夜行の“利尻”、天北線経由では“天北”が運転されていた。“宗谷”は函館⇔札幌⇔稚内の長距離運転で、小樽回りである。
小樽回りで函館⇔札幌を結ぶ急行には“ニセコ”があるが、すでに取り上げたように一部は根室⇔函館という運行だった。
て、手書き?
旭川以北に向かう列車としては、稚内行以外に名寄行の“なよろ”があった。
名寄本線では札幌から“大雪”と連結して旭川で分割。名寄⇔興部(そのあと普通列車となって遠軽まで)の“紋別”が、また遠軽⇔興部の“天都”があった。
網走方面に旅行に行ったときにそうそう機会のない“天都”に乗ったことがある。
サボを撮ろうとして腰が抜けるかと思った。
誰だ!サボを盗んだのは!
幸い別な車両には本来のサボがあったので救われたが……
なお、“天都”というのは網走にある天都山に由来する。
富良野線に急行“狩勝”が!
道東方面では札幌⇔釧路が“狩勝”(一部は帯広まで)。
“狩勝”では札幌発と旭川発(富良野線経由)が富良野で連結し釧路までという便もあった。
このほか、釧網線には“しれとこ”、釧路⇔根室は“ノサップ”が運行。帯広⇔池田⇔北見の池北線を走っていたのは“池北”だが、池田⇔帯広は釧路⇔帯広の“ぬさまい”と連結して走った。
みんな同じ顔ですけど……
特別急行はすべて気動車(80系)による運転。
千歳線経由の特急は、“北斗”が函館⇔札幌、“おおぞら”は函館⇔札幌⇔滝川⇔釧路・旭川、“おおとり”が函館⇔札幌⇔網走。
函館本線経由(小樽回り)は、函館⇔札幌⇔旭川(季節的には網走まで)の“北海”。
函館発着ではなく札幌が始終発の特急は札幌⇔網走の“オホーツク”であった。
ほぅら、かに本家の座敷の名前みたいでワケわかんなくなちゃったでしょ?
そして、興味のない人にはまったく意味のない記述でしょ?
私だって、これで全部網羅できたかよくわかっていない状態。
頭がボーっとしてきた。
長くなった。
音楽作品を紹介している場合じゃなくなった。
LP時代に、手塚幸紀指揮で出ていた伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の合唱頌詩「オホーツクの海」(1958/改訂1959)。
合唱は東京音楽大学合唱団で、「シンフォニア・タプカーラ」のB面に入っていた。
いま販売されている豪華BOXセットには入ってるんだけどこの1枚分以外は持っているからなぁ。聴きたいんだけど、単売してくんないかなぁ。
すごい経歴(?)を思いなんですね。まったくすごいです!