いつでも入っていいのよ
パタパタ式デジタル時計(正しくは反転板式デジタル時計というらしい)が売られていて、ちょっぴり欲しくなったということを、先日書いた。
国鉄札幌駅の改札上にある発車案内板もかつてはパタパタ式だった。
あれがパタパタと動くと、「おっ、いよいよ改札が始まる」と何となく気持ちもパタパタしたものだ。
いまは音もなく電光表示が切り替わるし、大きな駅では改札開始なんていう概念もない。いつでもホームにお入りください、だ。
それは自動改札機が導入されたせいで、むかしなら駅員が切符にはさみを入れるときに「まだ改札してませんよ」と、親切心で言ってくれた(ような気がする)。
姿を消しつつあるパタパタ式だが、考えてみれば名鉄の行先表示板はまだパタパタだった(→大切なおしらせ)。
意外とそのことに気づかないものだ。
夜行列車全盛の時代
ところで、当時は札幌からも何本もの夜行急行が出ていた。
乗っているのはしんどいし暇を持て余すが、夜行急行-まっ、夜汽車ってこと-っていうのは、見ているだけでも何とも言えない旅情がある。
1975年のダイヤだと、最初に札幌駅を発車するのは稚内行“利尻”。21:20だ。
その10分後の21:30に釧路行の“狩勝4号”が出発する。
前に書いたように、“狩勝4号”は札幌から釧路へと何度か利用したが、釧路に近づくと車窓から海が見える。
ようやく日の出。明るくなりつつ景色を見ながら、ようやくもうすぐ着くと思うと妙な充実感みたいなものを感じたものだ。
もっとも私の目的地は根室なので、そのあと急行ノサップに乗り換えなくてはならなかったが。
根室に着くと、そこは東端なわけで、同じ時間の日本のほかのどこよりも太陽は高かったはずだ。

ドビュッシー(Claude-Achille Debussy 1862-1918 フランス)の交響詩「海(La mer)」(1903-05)。
1. 海の夜明けから真昼まで(De l'aube a midi sur la mer)
2. 波の戯れ(Jeux de vagues)
3. 風と海との対話(Dialogue du vent et de la mer)
の3つの楽章からなる。
標題音楽ではないので厳密には交響詩ではなく(かつては交響詩と呼ばれていたので、古い人間の私はついつい交響詩「海」と言ってしまう)、「3つの交響的スケッチ(3 esquisses symphoniques)」が正しい。
あの当時、私はジュリーニ指揮ベルリン・フィルによるこの曲の演奏をNHK-FMでエアチェックしよく聴いていた。
なので、釧路や根室の海と、ドビュッシーの「海」がイメージとして重なる。
エアチェックした音源が海外のライヴだったのかどうかよく覚えていないが、この組み合わせによる1978年ライヴ録音のCDがTESTAMENTから出ている。
懐かしい気もするが、同じ音源かどうかは正直わからない。
ただ同じ番組でラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲も録音しており、それもまたこのCDに収められているので、常識的には同一音源の可能性が高い。まっ、極めて個人的なことだけど。
おそ松よりははるかにマシだけど……
少し時間を開けて22:15に網走行の“大雪5号”、その1分後に小樽から普通列車の夜行“からまつ”が入線。
このユニークな列車は22:25に釧路に向け出発するが、狩勝4号の55分後の発車ながら釧路に着くのは狩勝4号より遅れること3時間15分の9:30。普通列車だからしかたないが、意外と差がつかない。
札幌を出る夜行急行は23:15発函館行の“すずらん4号”である。
ディーゼル機関車の後ろに写っている黄色い文字は、いまでもあるセンチュリー・ロイヤル・ホテルである。
ここの最上階には回転レストランがあるが、確かに眺めは良いが、乗り物酔いなどまったくしない私でもなんとなく三半規管の調子がおかしくなる感じがするし、トイレに行くにも戻るにも一瞬方向がわからなくなる。
どうも苦手だ。
“からまつ”については、また別な機会に取り上げたいと思っている。
にしても、なぜ“からまつ”って名前なんだろう?
もうちょっとこじゃれた名前ってなかったのだろうか?
最後に当時の納沙布岬を。
客車は10系のはずです。
20系に比べると相当乗り心地は悪かったはずです。
修学旅行で20系の“日本海”や“ゆうづる”に乗ったときは、乗り心地がいいなぁと思いました。