最近の老いたモンは常識がない
土日にかけて出張で九州を訪れた。
午後の1時半ころに福岡空港に着いたが、まぁなんと混雑しているのだろう。
人も多いのだが、混雑混迷イモ洗い状態なのはターミナルビルの改修中で通路が狭く、かつ非直線化しているせい。歩きづらいこと極まりない。って、それなのに私ったら、エサを求めてさまよってごめんあそばせ。
でもそれはともかく、到着ロビーにあったイースタンという焼肉屋みたいな名前の(それはウェスタンだったっけか?)喫茶店に入る。
案内されたテーブルの隣にはどう控え目に考えても糖尿病を患っているに違いない恰幅の良いじいさんが私の陣地にまではみ出して座っていて(長椅子タイプだったのだ)自分のテーブル側に1mmたりともケツをどけようともせず、しかも向かいの友人らしき、でもかなり善意に解釈しても恰幅じじいにしいたげられた関係にありそうな胃下垂を疑わせる細身で貧相なじいさんにたいそう大声で話しかけているものだから、私は一瞬にしてとても劣悪な環境に置かれることとなった。肥えたカラスと栄養失調のニワトリの横に派遣されたクジャクのような心境だ。
店の人が恰幅じいさんに「おりゃあ!そこはオメエの席じゃないだろ。ケツ半分ぐらいはみ出してるじゃないか!もっと左にずれろよ!」と言ってくれてしかるべきだと思ったが、そこは学生バイトの女の子。言えなかった(もしくは見て見ぬふりをした)。
私はカレーライスを頼んだ。
なぜならまだ昼食をとっていなかったからだ。
カツカレーにしたかったが、この高慢ちきそうなじいさんがカツのルーツを想像させたので、ビーフカレーにとどめた。
やがてカレーが運ばれてきて口に入れると、“カレーとコーヒーの店”だか“コーヒーとカレーの店”とだかと銘打っているわりには全然コクがなくて「ありゃりゃ?」と思ったのだが、2口目、3口目と上下の前歯の間から舌の上にスプーンを用いてイエローや奴を投入し咀嚼していくうちに、しつこくなくて適度な上品さをもった味わいであることがわかった。
私は学んだ。
今度カレーを作るときはルーを入れ過ぎないようにこれまで以上の努力をしよう、と。
だいたいにおいてルーを鍋に投入後は、緩いんでないかとか味が足りないんじゃないかと思ってさらにルーを割りいれるのだが、結果的にでん粉だんごのような硬さになってしまったり、ライスを多めに食べなきゃしょっぱくてバランスがとれないということになってしまう。
それはそれでたいへん役に立ったが、あの恰幅じいさんの大声トークで、貧相じいさんの顔に唾(つばき)がかかるのは一向に構わないが、私のカレーライスに飛び散って来ないか、そればかりが気になった。
アルアホウってご存知?
久しぶりに今回はウォークマンと、三途の川の淵から戻ってきた電子書籍端末のレディオを持って出かけてきたが、機内で読んだ1冊(じゃないけど、便宜上そう呼ばせてもらおう)に芥川龍之介の「或阿呆の一生」(昭和2年6月。遺稿)がある。
そろそろ自分の一生を振り返るのに何かの参考になるかもと思ったわけではない。無料の青空文庫にラインナップされていたから、たまにはこういう日本文学も読んでみようかという気になったわけで、そういうらしくないことをしたせいかどうかはわからないが、到着地の天候は雨だった。
芥川龍之介は芥川也寸志の父である。いや、芥川也寸志は芥川龍之介の三男である。
それはどうでもいいが「或阿呆の一生」(あっ、これ「あるあほうのいっしょう」と読む。えっ?余計なお節介?すいません、決してあなたをアホにしているわけじゃないですけど)は芥川の自殺後に発見されたもので、自身の人生を書いたものと言われている。
書かれ方は断章形式というものらしいが(三男坊が「交響三章」という作品を書いたのは父の影響か?いや、関係ないか)、そう長い小説ではないものの細かく多くの章だてになっている。
第41章の「病」にはこう書かれている。
或雪曇りに曇つた午後、彼は或カツフエの隅に火のついた葉巻を啣(くは)へたまま、向うの蓄音機から流れて来る音楽に耳を傾けてゐた。それは彼の心もちに妙にしみ渡る音楽だつた。彼はその音楽の了(をは)るのを待ち、蓄音機の前へ歩み寄つてレコオドの貼り札を検(しら)べることにした。
Magic Flute‐Mozart
彼は咄嗟に了解した。十戒を破ったモツツアルトはやはり苦しんだのに違ひなかつた。しかしよもや彼のやうに、……彼は頭を垂れたまま、静かに彼の卓子(テエブル)へ帰つて行つた。
(青空文庫。底本「現代日本文学体系43芥川龍之介集」筑摩書房:1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行。2005年12月2日修正)
この文を読んで私は咄嗟に内容を了解した、と言いたいところだが、いまだに大脳皮質は決裁してくれていない。
主人公は実は不眠症に襲われているのであり、胃酸過多、胃アトニイ、乾性肋膜炎、神経衰弱、慢性結膜炎、脳疲労といった豪華極まる品揃えの病名を医者から言われているのであった。
最近“胃アトニー”って聞かなくなった。乾性肋膜炎って知らないが、じゃあ湿性肋膜炎っていうのもあるのだろうか?
九州に行って北海道ゆかりの店でお買い物
いずれにせよ九州に行ったのに、私はモツ鍋は食べなかった。あまり好きじゃないし……
一方で、北海道生まれである“クスリのツルハ”の看板を見て、懐かしさもあって店舗に突入。ちょうど切らしていた目薬を買った。
ロートGOLD40を薦められたので薦められるままそれにした。
モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の歌劇「魔笛(Die Zauberflote)」K.620
(1791)。
この人気が高いオペラについてはここやここに詳しく書いたつもりだから割愛するが、とにかくモーツァルトがこのとき死の前に立ってヘロヘロ状態だったのは間違いない。だからこそ同じ状況にあった或阿呆は“咄嗟に了解した”のだ。
いったいこのオペラのどこの部分が流れていたのだろう?
何枚組か知らないが(SPなら相当な枚数になる)、レコオドのどの面がかけられ、終わったのだろう?
このオペラ、聴いている分には悲壮感溢れる音楽ではないのだが……
前にも取り上げた、恰幅じいさん体型のレヴァインがメトロポリタン歌劇場管弦楽団を指揮した演奏を。独唱はバトル(ソプラノ=パミーナ)、セッラ(ソプラノ=夜の女王)、アライサ(テノール=タミーノ)、ヘム(バリトン=パパゲーノ)、モル(ザラストロ=バス)他による上演(DVD)。
演技・歌唱についてはちょっと弱い感じもするが、パパゲーナ役のソプラノのキルダフがかわいい。パパゲーノとキスしやがって!この阿呆がっ!
1991年ライヴ。グラモフォン。
この演奏がすごく良い出来かどうかはわからないが、少なくとも私が持っている全曲盤はこれだけなワケ。
それにしても、むかしはモツツアルトと言つてゐたのか……
返事が遅くなってすいません。
きっとまんなかの貼り紙のことだとおもいます。