熊がころり、社長さんもコロリ
帯広勤務中は十勝清水にある取引先の社長(いまは勇退)と親しくさせていただき、ときどき一緒にお酒を飲む機会もあったが、先日電話したところ「台風で大変だったが台風にめげずに元気だ」と言っていた。実際、その話しぶりは相変わらず精力的だった。何よりである。
このお方は“北海熊ころり”という日本酒が好きだった。小樽の酒で超辛口である。
ふだんは日本酒は飲まない私だが、「ほんとに美味いから、あんたも飲んでみな」と社長さんに薦められて口にしたことがあるが、とても美味しい酒だった。
そしてまた、社長さんはその酒しか飲まなかった(たまにそうでないこともあったが)。
伝統ある北の誉が廃業、その影響で……
その“北海熊ころり”の蔵元“山二わたなべ”が廃業したと、“財界さっぽろ”の11月号に載っていた。
記事で初めて知ったが、“熊ころり”は北の誉酒造に醸造委託していたのだそうだ。ところが北海道の歴史あるメーカーの北の誉が閉鎖。
゛わたなべ”は別な委託先を探したものの見つからなかったという。
社長さんは“熊ころり”がこの世から絶滅しちゃったことを知っているのだろうか?
自宅の在庫(たぶんけっこうあると思う)がなくなったら終わり。どんなに悲しむことだろう。
先見の明があった?
日本酒といえば、札幌市西区は西野に“リカーショップやまや”という店がある。
私が子どものころ祖父母の家に遊び行っていたころからあり、当時は“やまや商店”という名だった。
そのころは普通の商店だったが、その後日本酒に力を入れて珍しいものも揃えるようになった。
先日店の前を通りかかったが、なんだか入口がオープンな感じじゃなくて、立ち寄るのをやめた。
もっとも、日本酒を買う気は全然ないが……
手稲東町(現・西町)と西野(当時は手稲西野という住所)の間にある正路通り(旧国道5号線と山の手通りの中間に、両者に並行している道路)に面しているが(住所は西野1条6丁目)、いまでこそ住宅街の中にあるものの、できた当時はあたりはリンゴ畑だの空地だの、パンジー畑(もちろん出荷用)が多く、そんなに住宅はなかった。
道も大きな通り以外は砂利道で、それも角ばった砕石だった。この砕石はたぶん西野の奥の福井や平和の砕石場で採取されたものだ。転んで手をつくと、出血必至。革靴なんかはすぐに傷ついたに違いない。
そんなところに開店したのだが、いまでは札幌でも日本酒を専門的に扱う有名店になった。たいしたものだ。
めくると“500円”の文字が!
一方、山谷商店よりももっと発寒川側。住所では西野1条4丁目になるが、やはり正路(まさみち)通りに面して“広島商店”というのがあった。
ここは奥行もけっこうあり、肉屋や魚屋、おもちゃ屋に駄菓子屋などがテナントで入っている市場形式の店だった。あのころはここでふだんの買い物をしている人も多かったはずだ。
広島商店の広島というのはこの中の酒屋の名前で、ペプシコーラの王冠の裏蓋をはがすと現金が当たるというキャンペーンで、ここで買ったものの1本で私が500円を当てたことがあり、当たりの王冠を持っていくと店主が大感激し、共に大喜びした記憶がある(その500円でまたコーラを1カートン買った)。
広島商店の並びには喜久恵堂(字は違うかもしれない)というお菓子屋(和洋)があり、浦河から西野に引っ越してからは毎年クリスマスケーキはここに注文していた。昭和51年に西友西野店(西町店ではない)がオープンしたとき、この店はテナントして西友に入り店舗を移した。
広島商店とお菓子屋の間には電器屋と洋品店があったような気がするがはっきり覚えていない。また広島商店の向かいには日立のチェーンの電器店もあった。
その電器店の隣には、あとの時代になってからのことかもしれないが食堂があり、さらそのあとは喫茶店(トーテムだかいう店名)になった。その隣にはタマキという床屋があった。
西野1条5丁目の4丁目側の角(正路通りに面しているところ)には、これまたあとになってからのことかもしれないが、マリ美容室っていうのもあった。マリさんってどんな人だったのかいまだに気になる。
当時を思い返すと広島商店が無くなり、やまや商店が生き残るとは思わなかった。もっとも広島商店の主人と、同じく店に出ていた奥さんとの間にゴタゴタがあり、さらには主人が病気で亡くなったということもある。
正路通りとT字交差するマリ美容室の前の通りを山の手通りまで進むと、その手前に手稲東中学校がある。
校舎は右手、グラウンドは左手である。
にしてもこの道、こんなに狭かったのかと思うくらいいま通ると細い。
この辺りがおそらくは無計画に分譲されたことがうかがい知れる(条丁目になる前の住所は番地だったが、ひどいとび番だった。というのも家が建った順に番地が付けられたらしいからだ)。
知る人ぞ知る東中近くに住む有名人
中学校の裏手には昔から市営住宅があり、当時はそこに住む“丹前じじい”というはげで細身の無気力そうな爺さんが界隈ではちょっとした有名人だった。
いつも丹前姿で、日中に中学校の敷地内を通って山の手通りの方に行く。ほぼ毎日だ。
しばらくするとコカコーラのホームサイズのカートンをぶら下げて帰って来るのである。
いまの若い人は知らないだろうが、ペットボトルのない時代、500mlのビンに入ったコーラをホームサイズといい、その4本が入る厚紙のカートンがあったのだ。
丹前じじいはどこに出動するのか?
方向的にコーラを買っている店は笹原商店か小沢商店と思われた。いずれも山の手通り沿いである。
視線はまっすぐ先を見ており、歩き方もゆっくり。
しかも丹前姿(なのに靴はなぜか革靴。年季は入っていたが)だから、たぶんどこか体の調子が悪いと思うのだが、あれだけコーラを飲めるなら心配ないような気もした。
中学のプール前の1階の教室で授業を受けていると、校舎のすぐ横を歩く丹前じじいの姿が窓から見える。
授業中に教科書読みを当てられている最中に、出没する姿が視界に入るとつらいものがあった。
「誰だ。」メロスは走りながら、 うっ!(視野右75度に茶の制服を着た歩兵発見!超低速度で接近中!) 尋ねた。 ゲホンゲホン
「ヒ、ヒ、 フィロストラトスでご じゃ、あっ ございます。貴方のお友達セリ ヌヌヌ ヌンティウス様の弟子でご じゃ、いや ございます。」その若い石工も、 ひひひひぃ~っ メロスの ご、ご、ご?、 後について走りながら叫んだ。「も、も、も、 もう、駄目でございます。」 先生。読めまふぇん……
でもあの丹前、いつも同じに見えたけど、替えはあったのだろうか?
ラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937 フランス)の弦楽四重奏曲ヘ長調(1902-03)。
この作品と、以上のたわごととは何の関係もない。
むしろ今日は異例なことに音楽作品には触れないでおこう。いや、触れようがないと弱気になっていたくらいだ。
でも、メロス弦楽四重奏団の演奏を紹介しておく(井瀬詩麻子のときに続き、何と今年2回目)。
1979年録音。グラモフォン。
虫の居所が悪い教育者?
その丹前じじいが住む市営住宅に同級生も住んでいた。
まだ小学生のころ、中学の体育館の横で(なぜかそこにはポツリとブランコだけが設置されていた)彼とサッカーのボール蹴りをして遊んでいたところ、ボールが体育館のガラスを直撃。ガッシャーンと割れてしまった。
そのすぐ横には校長公宅があった。三角屋根の冬はいかにも寒そうな家だ。
正直者の私たちは校長宅の呼び鈴のボタンを押した(ブーという音が聞こえた)。
赤ら顔の校長が出てきた。単なるおっさんだった。それも寝起きを起こされたような機嫌悪そうな顔つきだった。
事情を話した。
許してくれるかと思ったら大激怒された。
でも弁償は免れた。
いまでも思う。あんなに怒ることないだろうに、と。
今日掲載したビオラや野菊の写真は本文とは一切関係ない。
文字ばかりなら嫌だろうから、イラスト代わりに挿入したに過ぎない。




2枚目の写真の花はエゾノコンギクという草種だと思います。
3枚目のは???