実はオディール君も小檜山ファン
母は汽車で滝上を出て渚滑で乗り換え、次に紋別で乗り換え、さらに遠軽で乗り換え、十二時間かかって出てきたのだった。寒い二月で、母はモンペをはいて上半身に角巻きを羽織っていた。冷害つづきの年で、旅費は農協から借りてきたものに違いなかった。
これは小檜山博の「人生という旅」(河出文庫:2013)に収められている「改札口で」のなかの一節。
JR北海道の車内誌“THE JR Hokkaido”に連載されたエッセイを集めたものだが、文庫版後記に“最初に連載を依頼してくださったJR北海道の坂本眞一氏、……”とあるのが痛々しい。坂本氏は一連の事故、不祥事を受け自殺したからだ。
母親は、ある事情から息子に会いに札幌に出てきたのだが、滝上(たきのうえ)も渚滑(しょこつ)も紋別も、もう駅はない。廃線になったからだ。
つい最近、交通公社の時刻表を買った。
・ 時刻表復刻版 1968年10月号
・ 時刻表復刻版 1978年10月号
・ 時刻表復刻版 1980年10月号
の3冊。
捨てたものを買い直す愚
実は私、1968年のは別として、78年と80年の時刻表は同じものをかつて所有していた。
あのころは毎月時刻表を欠かさず買っていたのだ(あと、小学館の雑誌“GORO”も)。
季節列車以外、そうそう掲載内容は変わらないのに立派だとしか言いようがない。
そしてそのコレクションは、のちにすべて古雑誌として捨てた。
もったいないことをした。でも、あのときはもう見返すことはないと思ったし、かなり邪魔になっていたのである。
かつて持っていて、古新聞・古雑誌のトラックにドナドナと積まれていったのと同じ78年と80年の2冊を再購入するとは、あの時捨ててしまったことがまさしく取り返しのつかないことだったという感じだがしょうがない。
また68年のころといえば、たぶん私が初めて時刻表(それも弘済会の道内時刻表)を手にした頃だと思う。
浦河駅のキヨスクで買ったのだ(浦河駅に売店があったなんて、今では信じられない)。
なぜいずれも10月号かというと、国鉄のダイヤ改正は毎回10月に行なわれていたからだ(近年は3月)。
だから売る号も10月号にターゲットを絞っているのだろう。
そして、そのなかでも1978年、つまり昭和53年の10月に実施された“ゴー・サン・トォ”ダイヤ改正は、私にとってはなかなか大きな意味を持っているのだが、どんなふうに意味を持っているのかは過去記事(旧館)をご覧いただきたい。見つけられればの話だが……
紙と違い見づらいが……
さて、この3冊は古本ではなく、上に書かれているように復刻版である。
そして紙の冊子ではなく電子書籍(PCのブラウザで読める。端末であるレディオでは読めない)である。
冊子と違ってページを行ったり来たりしにくいし、文字も小さい。
拡大表示すると次のページに進めない(一度標準サイズに戻らなければならない)。印刷ができないのも不便(不法コピー防止のためだろう)。プリント・スクリーンで画面に表示されているものをコピーし、エクセルなどに貼り付け、それを印刷すると全然不鮮明。
ということで、使い勝手が良いとは言えないのだが、これもひとえにかつての冊子を処分してしまった私が悪い。
意味ないシミュレーション
小檜山氏の母親が札幌に出てきたときとはずいぶんと年月が経っていてダイヤは変わっているだろうが、78年10月号で母親がどのような移動をしたのか、疑似的に追っかけてみた。
まず大前提になるのは、お金がなくて農協から借りたらしいというほどなので、使った列車はすべて普通列車とみなした。特急はもちろんのこと、急行も利用しない。
滝上(たきのうえ)に実家があったというので、乗車駅は北見滝ノ上駅とすると、5:40北見滝ノ上発渚滑行というのがある。渚滑(しょこつ)線である(とっくに廃線)。札幌に着く時間から考えればこの列車に乗るしかない。
2月の6時前といえば、まだ真っ暗闇である。それだけで憂鬱になる旅だ。
終点の渚滑着が6:35。そのころに、ようやく陽が出てきて少しばかりあたりが明るくなったことだろう。
ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の弦楽四重奏曲第78番変ロ長調Op.76-4,Hob.Ⅲ-78「日の出(The sunrise)」(1797)。
作品76の弦楽四重奏曲は、通し番号で第75番から第80番の6曲で構成される。
エルデーディ伯爵に献呈されたために、この6曲は「エルデーディ四重奏曲(Erdodyquartette)」と呼ばれる。
大木正興氏(音楽評論家)は、「エルデーディ四重奏曲」についてこう書いている。
1797年、シューベルトが生まれた生まれた年にまた新しい6曲の弦楽四重奏曲が作られた。二度目のロンドン訪問も終り、彼は交響曲を作曲しなければならぬ環境の外に出ていた。この弦楽四重奏曲のグループは、ハイドンの交響曲の仕事がすべて完了したのちに現われた。そして彼の新しい対世間的な音楽として、ロンドンでヘンデルに接したことがきっかけとなって、この年にオラトリオが着想される。そのような状況のもとで書かれたこれらハイドンの持ちまえの几帳面さを放棄しない限りでの、精神のきわめて自由な飛翔がある。すべての楽想は純化され、遅疑の痕跡の一片も見出しえないほど、すっきりと性格的であり、形も見事に整っている。
(最新レコード名鑑 室内楽曲編(上):音楽之友社,1975年頃,「レコード芸術」付録)
あのぅ……ヘンデルさんは1759年にお亡くなりなっているはずですけど……
なお「日の出」のタイトルは、冒頭の印象からつけられたニックネームである。
タカーチ弦楽四重奏団の演奏を。
1988年録音。デッカ。
オホーツク海側なのに“名寄”
渚滑で遠軽行の普通列車に乗り換える。名寄本線である。 名寄本線は名寄⇔興部⇔渚滑⇔紋別⇔中湧別⇔遠軽を区間とするが(とうの昔に廃線)、確かに起点は名寄だがこのルートを見ると“名寄”という名がついているのが不思議な感じもする。名寄から東のオホーツク海側へとわき目もふらずに進むからだ。
なんだかへんてこだが、名寄本線は石北本線(旭川⇔網走)よりも歴史が古く、石北本線が開通するまでは札幌や旭川方面から網走方面へ通じる重要な路線だったらしい。
さて、小檜山ママは渚滑6:39発の遠軽行に乗る。
エッセイでは紋別で乗り換えたことになっているが、この渚滑6:39発の列車は、もちろん紋別は通るがそのまま遠軽まで行く。遠軽着は8:07。
遠軽では1時間半ほど待ち時間がある。
遠軽9:35発の旭川行(国鉄時代は“あさひかわ”ではなく“あさひがわ”と呼んでいた)普通列車に乗車、旭川に着くのは13:29である。
エッセイにはない乗り換えを、この旭川でしなければならない。
今度は2時間近く待って、旭川15:20発の普通列車に乗車。札幌に到着するのは18:45。
北見滝ノ上駅を出発して13時間である。
たまらんね。13時間ですよ。
関係ない話だが、78年の時刻表に載っている駅弁で、札幌駅で今でも売られている“やまべ鮭寿し”の値段は500円。
で、いまはというと600円。
100円しか変わっていないなんて、とっても驚きである。
※掲載した下の2枚の写真は1977年または78年に撮影した(昨日紹介したの“テク”でネガから取り込んだ)ものである。