
わが家のナツツバキに営巣したキジバト(ヤマバト)。
2羽のヒナがかえり、あっという間に大きくなり、巣から糞を垂れ流し、ぎこちなく飛行練習をし、庭を散歩するようになった。飛んでは巣に戻りを繰り返し始めたのはほんの1週間ほど前のことだ。
20日の夕方。
妻が外出先から帰宅すると、2羽が庭で遊んでいたという(←シャレではない)。
しかし、21日の早朝は、そして日中も、さらに暗くなっても、巣は空っぽのまま。
妻が見たのが、この双子の最後の姿になったのだった。

マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の「ふと私は思う,あの子たちはちょっと出かけただけなのだと」のタイトルが頭に浮かぶ。歌曲「亡き子をしのぶ歌(Kindertotenlieder)」(1901,1904)の第4曲である。
が、この曲は父親が死んでしまった子どものことを歌っているわけで、あのポーポーJr.たちは死んでしまったわけではない(きっと)。
寒くなって来たので、習性通り南へと飛んで行ったのだろう。
ナツツバキの茂みの中の巣は空き家になった。
そしてまた、私は村上春樹の「1973年のピンボール」(講談社文庫)のなかのあるエピソードを思い起こす(この小説とマーラーの「亡き子」は、私の中でほのかに結びつくのだ)。
“僕”に言わずに、勝手にゴルフ場に遊びに行った双子の女の子、208号と209号のことである。
……僕は心配になった。僕と一緒でなければゴルフ・コースに入らないように、と言いきかせてあったからだ。事情を知らないものには夕暮のゴルフ・コースは危い。何時ボールが飛んでくるかもしれないからだ。……
……丘を上ったところで双子をみつけた。……
この双子は、物語の最後にはバスに乗り、“僕”に窓から手を振って去って行った。

ディーリアス(Frederick Delius 1862-1934 イギリス)の「去りゆくつばめ(Late Swallows)」。
おまえのところのは、ツバメじゃなくてハトだろって?
そうですよ。
それが何か?
弦楽合奏のこの曲は、弦楽四重奏曲第2番(1916)の第3楽章を、弟子のフェンビーが編曲したもの。
この弦楽四重奏曲は1916年に3楽章構成で作曲されたが、翌17年にディーリアスはスケルツォ楽章を追加している。
デル・マー指揮ボーンマス・シンフォニエッタの演奏を。
このディーリアス作品集は、ディーリアスのしっとり感を堪能できる隠れた名盤だと私は思っている。
1977年録音。シャンドス。
このCD(同一音源)の詳しい情報 【タワレコ】

昨日、22日の朝。
近くの電線にヤマバトの姿が!
“ウチ”のポーポーちゃんJr.かと思いきや、結局わが家の庭に近づくことはなかった。
きっとよそのお子さん、さしずめ210号ってものだったのだろう。
この子の姿の上には月がぽっかりと浮かんでいた。
それを見て、なぜかちょっぴりおセンチになった私である。
ほんと、寂しいです。