まじめな職人気質が感じられる店
 鵡川とはいえ、オウムとはまったく関係がなく、アイヌ語に由来するらしいが、とにかくここで昼食である。

 昨年の3月に“灯泉房”という店でボリューム満点で子どもなら涙するであろう辛口のホッキカレーを食べたが、大人の私はとっても満足した。この街で食事をするのはそのとき以来だ。

 妻がスマホで調べ、けっこう評判のラーメン店があるというのでそこに向かう。

 5月に伊達で立ち寄った長大なるコの字型カウンターがあった、あのラーメン店とはいろいろな点で対照的だ。

 まずL字型カウンターのみの席で、席数は8席(と思ったが、食べログには9席とある。自分が座った席を数え忘れたのかもしれない)。
 カウンターや椅子、床はこぎれい。いや、あの店が小汚いというわけではないが、脂でギトギトつるつるしていないのである。
 夫婦2人で切り盛り。
 店の名は“秀来”という。
 13時過ぎに行ったので、すぐに席に着くことができた。

 妻の事前調査によると、ここは塩ラーメンが人気らしい。
 が、メニューをみると“塩ラーメン”がない。
 あるのは“天塩らーめん”である。

 地名の天塩かと一瞬思ったが、それなら意味不明。
 どうやら“あまじお”と読むらしい(食べログの口コミ情報によると)。が、そのときはわからなかったので、さりげなく「塩ラーメン2つ、半ライス1つ」と注文した。

 私は塩ラーメンを注文することはまずない。
 必ずと言っていいほど醤油である。
 が、そんなに評判ならば食べてみなくてはならない。

 脂ギトギトではないスープ。想像していたのは透明スープだったが、森永マミーのような色合い。
 口に含むと、実に美味い!
 このあっさりさは伊達のあのラーメン店とは正反対。
 上品ながらもしっかりとした味のスープだ。
 こういうラーメンを食べられる地元民がうらやましい。

IMGP0852

IMGP0853

 むかわ町に行くことはもうほとんどないだろうが、末永く営業し続けてほしいと思わせる味だった。
 けど、醤油も、チャーハンも食べてみたいなぁ……

  おしゃれだが細かなところがちょいと……
 ひどく満足した昼食のあと、車を日高(えりも)方面へと走らせる。
 今日の最終目的地(宿泊地)は三石なのだが、時間があればその少し先の浦河まで行くつもりだ。

 小学生のとき5年間暮らした浦河町は私にとっては第2の故郷のようなもの。
 6年前にも一度訪れてみたが、なぜかどうも懐かしさがこみ上げなかった。というよりは、あのときはどこか居心地の悪さを感じたので、再トライである。

 その前に、新冠町の入り口、国道わきにぽつんと建っている喫茶店に寄る。
 これも妻の調べによるもので、窓からの夕日がきれいだという。

IMGP0859

IMGP0858

 私たちが寄った時間は日没までかなり時間があったし、夕日をみると物悲しく感じる年齢層にすでに属しているので、むしろ明るい時間でよかった。

 吹き抜けになっていて私たちは2階席に座ったが、吹き抜けの窓につけられているロールブラインドはどう考えても操作不可能だし、実際ずっと50cmほど垂れ下がったままになっていると思われた。そのうちの1つが破れかかっていて、海どころかそちらの方が気になってしまった。

IMGP0857

 よくはわからないが、この建物、もともとは別の目的で建てられたもののようだ。
 建物横は放牧場みたいになっているし、逆側は使われていない集会場のような感じだった。

IMGP0854


  やばいほど覚えていない……
 喫茶店ではピアノ曲が流れていた。
 クラシックである。
 しかしオムニバス的に、作曲家もバラバラでとりとめのない感じに流れていた。
 これはむしろこの環境にあっていると思った。
 ここでベートーヴェンの「熱情」やショパンの「英雄ポロネーズ」をかけられても、お客さんは困惑してしまうだろう。

 でも、はて?
 このとき何の曲が流れていたっけ?
 言葉を失うほどすっかり忘れてしまった。
 1曲だけ、聴いたことがあるのに曲名が出てこないのがあった。
 あとはすべて名前を知っている曲だった。
 なのに忘れてしまった。
 初めて行ったスナックの女の子の名前を、店を出た瞬間に忘れるようなものだ。

YoshimatsuForgetful 吉松隆(Yoshimatsu,Takashi 1953-  東京)の「忘れっぽい天使(Forgetful Angel)」。

 この曲名の作品は3作あり、Ⅰは「カウント・エンジェル」と「リカウント・エンジェル」の2曲からなるハーモニカとピアノのための曲。Op.6で作曲は1978年。ハーモニカをヴァイオリン用に編曲したOp.6aもある。

 Ⅱは「天使はぼくを見ているふりをして雲のかけらを数えている」と「天使は虹の中でぼくを待ちながら光っている」の2曲からなるハーモニカとギターのための作品でOp.8。1979年の作曲。
 まあ、今回の私(=天使?)が、窓の外の海を見るふりをしてロールブラインドの破れをチェックしているのと同じようなものだ(←違う!)。

 Ⅲは、「インヴェンション」「ノクターン」「ロンド」の3曲からなるハーモニカとアコーディオンのための作品。
 1985年作曲でOp.24。


 Ⅰのスコアには作曲家自作の次のような文が添えられているという。


 生をカウントするのは忘れっぽい天使だ。
 人を生かしておいて、そのくせ無邪気にそのことを忘れてしまう。
 それでも生は、数え天使(カウント・エンジェル)と数え直し天使(リカウント・エンジェル)との間をはかなく空転しながら精一杯かすかなるスペクトルを発する。
 そして、死をカウントするのは…決して忘れることのない神だ。
 忘れっぽい神は、いない。

 崎本譲のハーモニカ、白石光隆のピアノ、芳志戸幹雄のギター、御喜美江のアコーディオンによる演奏を。

 Ⅰは1998年、Ⅱは1985年、Ⅲは1986年(ライヴ)の録音。カメラータ。

 コーヒーを飲んだたとは新冠、静内を通り抜け、三石のセイコーマートでタバコを吸い、ただ灰皿を借りるのは忍びないのでタバコを1箱買い、浦河の昔住んでいた堺町に行った。

  まるでカフカの「城」の世界
 今回も思ったのは、道がこんなにも狭かったかということ。
 あの当時の物影があるものは何一つなかった。

 よく登ったた小学校裏の山の中腹につながる車道の入り口もよくわからなかった。そこには牧草地があり、初夏には一面がカタクリの花で覆われた。その近くにはよくザリガニを捕りに行った小川が流れ、エゾサンショウウオがいる沼もあったのだが。
 その先をもっと登ると、NHKの送信所があったのだが、いまもあるのだろうか?

 どの道も袋小路のように入り組み走りにくく、懐かしさを感じるどころかよそ者がじろじろ見て回るのを拒んでいるように感じた。

 早々に、住んでいたこの堺町界隈を離れ、街中へと向かってみた。