重い本を持たないMUUSANと、彼の出張の日7月に入って3日目。
1年の半分と3日が過ぎた。
早いといえば早いものだ。
半年も経ったというのに、今年に入っても相変わらず宝くじに当たっていない。
この日本国で、果たして本当に当たっている人がいるのだろうか?疑心暗鬼になる。
下期に望みを託そう。
1日の朝日新聞朝刊に講談社の一面広告が載っていた。
村上春樹の初期の3小説、つまり「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」の電子版の配信がこの日から開始されるというものだった。
村上春樹の小説をしばしば読み返す私には、そしてファンの皆さんには、文庫本なら軽いとはいえども、本を持ち歩かなくて済むようになるのは便利である。
が、この3作については過去1年以内に読み返しているので、私には「あ、そっ!」って感じだった。
タイミングがよろしくなかった。
まっ、そのうち購入することになるような気がするけど。
で、今回は「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(文春文庫)の電子版を購入した。
近くまた出張があるので読み直すに良い機会だと考えてはいたが、持っている本が文庫ではなく重くかさばるハードカバーであることと、いままでこの小説が電子版になって配信されているのを知らなかったからである(先の初期3小説の配信を「ホントかいな?」と電子書籍で調べていて知った)。
この小説を読み直すのは初めてとなるが、第1刷の出版がまだ3年ほど前だったとは意外である。
もっと前、3年半は経っていると思っていた。
そして、確か名古屋のレクサスの販売店が出てきたような気がする。
あぁ「幻想」違い。5つもありゃあ無理もない?以上の話題とはまったく関係なく、今日もモントゥー指揮によるベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-69 フランス)の「幻想交響曲(Symphonie fantastique)」Op.14,H.48(1830/改訂'31)。
といっても、舌の根も乾かぬうちに同じ録音を取り上げるのではない。
今日ご紹介するのは、モントゥーが北ドイツ放送交響楽団を振った1964年録音のもの。
実はモントゥーの「幻想」で私がLP時代から聴いてきたのはこちらの演奏。
結論から言うと、どうもパピッとしない。
だから単純にモントゥーの「幻想」は素晴らしいというのをあちこちで読んでも、どうも納得できなかった。
しかし、1958年のウィーン・フィルとの演奏を聴いて、モントゥーの「幻想」は素晴らしいということが納得できた。
弦楽器がときに異様に強調されたりという録音上の問題もあるが、どこかやる気がなく聴こえるのはオーケストラの力量不足か?
鐘の音もチューブラ・ベルのような響き。
とはいえ、この北ドイツ放送響との演奏は2つのディスク大賞を受賞している。
以下は、タワレコによる説明。
なおPROC1578のディスクが先日紹介したウィーン・フィルとの1958年録音のものである。
……モントゥーはベルリオーズの『幻想』を5度もスタジオ録音しています。その中の最後の、モントゥーが亡くなる5か月前に録音されたのが、北ドイツ放送交響楽団を振ったコンサートホール盤です。
4度目の名門ウィーン・フィルとの録音(PROC1578で9/3に再発)で奏者の卓越した音楽性を巧みに自らの表現に組み入れたモントゥーですが、放送オケらしくニュートラルな性格をもち、楽員の規律と機能性に優れた北ドイツ放送響と対峙して、いっそう直截でダイナミックな表現を聴かせています。ウィーン・フィル盤での細部の魅惑や色彩感は後退していますが、青年に戻ったのではないかと思わせるほどのスピード感や緊密なアンサンブルが生み出す圧倒的なエネルギー、ひたすら高い世界を目指す真摯さが感じられます。ウィーン・フィル盤が標題音楽的で現世的な表現とするならば、この北ドイツ放送響盤は絶対音楽的で精神的な表現と言えます。こうした演奏内容の深化が、当時のフランスの批評家や音楽学者に高く評価され、1965年度ACC(アカデミー・シャルル・クロ)、ADF(アカデミー・ド・ディスク・フランセ)の二つのディスク大賞受賞に結び付いたのでしょう。
今回の再発においては、日本コロムビア所蔵のアナログ・マスターより、新規でCDマスターを制作しました。アナログ・マスター・テープから入念にデジタル化(192kHz/24bit)し、さらに綿密なリマスタリングを施した上で発売いたします。
DENON(タワレコ限定)。
昨日は10時前に歩いて10分ほどのスーパーに買い物に行ったのだが、いやぁ暑かった。
豚肉を買ったが、そのまま持ち帰っていたなら10分の間に腐敗してしまったかもしれない。
それを免れたのは冷凍食品も1袋買って、それと密着させて持ち帰って来たからだ。
なんて私は頭が良いのだろう!……って、作荷台(さっかだい。会計を終えた商品をエコバックなんかにつめる台のこと。この言葉、意外と知られていない)の横にちゃんと氷が用意されているんだけどね。
午後になって、午前中に洗濯して干していたシーツを取り込もうとベランダに出たときには、ここは露天サウナかと思うほどだった。

「ラオスに~」とかのエッセイも配信されているようですよ。