RuzickaVa  亀か甲虫みたいにしてないでリュックを下ろしましょう
 先週の金曜日に志摩の方へ出張したことはみなさんご存知の通りだが、行きは近鉄名古屋駅から宇治山田駅行きに乗った。

 電車の中は少なくとも私の周囲、それも広範囲に及ぶ周囲は平均年齢をはじきだせばなかなか高スコアになりそうな人々ばかりで、しかもほとんどの席が埋まっていた。

 男性の多くはカメラを持っているか、あるいはガイドブックを手にするという条件を満たしており、なかには欲張りにも右手にカメラ左手にガイドブックという、同時使用はほぼ不可能という人もいた。
 彼らのほとんどはリュックサックを背負っており、電車に乗り込む前に降ろせばいいようなものの、そのまま乗り込んできて、でも通路でたまに後ろにいる奥さんらしき女性に、「席はまだ先か?」などと振り向くため、そのリュックがすでに通路側の席に座っている人の頭を殴打しそうで、まったくもって危険極まりなかった。

 さらに自分の席にたどり着いても、なぜかそういう人はすぐにまずは座席にの方に入ることなく通路に立ち止り、これまたなぜか周辺を一瞥するので、通路には渋滞が発生し、奥さんが「お父さん!とりあえず早く入って」と叱りつけてもらわないことには、本人はまったくそういうことに気づかないわけで、とても迷惑なのである(これは飛行機でも言えることだ)。

 その上、手にカメラを持ったままリュックを降ろそうとして難儀したり、降ろす時も静かにやりゃあいいのに威勢よくやってしまうために、背のベルトの端が新体操のリボンさながらに宙を舞い、これまた周囲に座っている人に身の危険を感じさせるのであった。

 一方、女性はというと示し合わせたように何とかの証人のような帽子をかぶっていて、しかもほかにも女性の仲間が一緒だと、ちっとも面白くない話でもすでにたいそうな笑い声をあげて、ドーパミンが皮膚から浸み出してくるんじゃないかと心配になったほどだ。

IMGP0424 そんな車両の中でネクタイを締めていたのは私だけだった。
 私の頭には神宮のことも赤福の茶屋のことも頭にはなく(写真は前回撮影のもの)、板はどうしようかと考えていたが、板ってなんのことだと思われるだろうが、わかるわけがない。もしわかったら気持ち悪い。
 板についてはそのうち明らかにしたい。

  伊勢駅は外宮、宇治山田駅は内宮
 伊勢駅に着くと大半の客が電車を降りた。
 みな、外宮をご参拝するのだ。たぶん。
 宇治山田駅に着くと、全員が電車を降りた。
 なぜならここが終点だからだ。

 だが私の旅、いや出張はここでは終わらない。ここで8分後にやって来る賢島行きの特急に乗り換え、先に進まなければならないのだ。

 3月にプライベートで伊勢に来たが、宇治山田よりも先へ行くのは生まれて初めてである。
 乗り換える特急は、ここまで乗って来た特急よりもゴージャスな感じの電車だったが、これっていったいどこからやって来たんだろう?大阪からだろうか?

 考えてみればいま利用しているのは名鉄ではなく近鉄。ということは、伊勢や志摩というのは近畿圏に属するということなのだろう。ピンとこないけど……

 電車が鳥羽に着くと、そこそこ人が降りてしまいすいていた車内がますますガラガラになった。

  お………は………よ……………うぅぅぅ
 鳥羽というと、小学校3年生のときに転校してきて同じクラスになった鳥羽さんという女の子を思い出す。
 下の名前が何だったかまったく思い出せない。鷹美とか孔雀子とかじゃなかったことは間違いないと断言できるが……

 この子は見た感じは小4とは思えないほど落ち着いていた。いや、はっきり言って地味な風貌だった。
 そして何よりこの子の最大の特徴は、話すスピードが著しく遅いということだった。
 話をすることに障害があったわけではない。でも、とにかく一語一語がスローモーなのだ。

 話だけではない。たとえばこちらが後ろから話しかけても振り返るまでにすごく間がある。
 痴漢にお尻を触られても、彼女がキャーッと叫ぶ前に犯人はすでに20mは逃亡できるだろう。

 そんなわけで話しかけても返事が来るまで妙に長い間があり、しゃべればスローモーションのようであり(だが音声は低くならない。機械的に速度を落としているわけではないから)、また言葉を発する前に必ずと言っていいほどかすかにニヤッとするのであった。話すワンセンテンスは短かく(遅いから長ければ大変だが)抑揚もないので、こちらは眠ってしまいそうになる。

 どうしたらあんなに遅くしゃべることができるのか理解できないが、あれはあれで特殊な能力だったのかもしれない。しかしコールセンターでバイトしたら5分でクビになるだろう。

  マーラーの9番を調理
 ルジツカ(Peter Ruzicka 1948-  ドイツ)の「続けて話される刺激をまず受けるべき……(…den Implus zum Weitersprechen erst empfinge)」(1981)。

 独奏ヴィオラとオーケストラのための作品で15分弱の作品だが5つの部分からなる。
 激しい開始は鳥羽さんの(良く言えば)穏やかさとは対極にある爆発的なパワーをもつ。

 そしてまた、この曲は全編にわたってマーラーの交響曲第9番第1楽章のメロディーが変形した形で用いられている。なので「続けて話される刺激をまず受けるべき……」なのだ……って、意味が良くわかっていない私である。

 クリストのヴィオラ、シャイー指揮ベルリン放送響の演奏で。

 1993年録音。Wergo。

 彼女は1年もしないうちにまたどこかへ転校して行ってしまった。
 まだああいうしゃべり方をしているのだろうか?

  本物の特大甲虫現る
 私はそのまま賢島方面へ向かうべく電車に乗り続け、目的地である駅のホームに降り立った。
 跨線橋の階段を上っていると、途中大きなカミキリムシが歩いていて、それはそれはひと目見ただけでぞっとするようなグロテスクな姿で、私はのけぞり、危うくホームまで転落するところだった。

 ここまで立派に成長した忌まわしい甲虫が当たり前のように歩いているということが、ここが田舎であること、いや自然豊かで暑い地であることの証だ。

 駅前にはコンビニもなく(エキナカにももちろんなく)、時代に取り残されたような大衆食堂もアンパンぐらいなら売ってるはずの地元商店も見当たらず、私はため息をついてタクシーに乗った。そのあとのことはここここにおいて豪華2本立てでご報告したとおりである。

 唯一救われたことは、その駅前に客待ちのタクシーがいたことだ。
 もしタクシーがいなかったら、私はヒッチハイクするかすべてを放り出して再び電車に乗って帰るしかなかっただろう。