躊躇せずに“勝利”へ
またウォークマンに転送した際のトラック移行時のギャップの話。
とはいえ、先日書いたように、私の場合はこのギャップ問題は、心の隙間を埋めてくれるように解決した。
たいていの場合〇〇レスというと、よくない意味、なさけない意味、ひいては役に立たない意味まで指すことがあるが、ことギャップレスに関しては実に良いことなのである。なお、私が使っているハードディスクドライブはファンレスであるが、それが良いことなのかどうかはよくわからない。
この話題で2度にわたってコメントを寄せてくれたAtsushiさんは、ギャップがあると実に困る作品としてベートーヴェンの交響曲第5番とシベリウスの交響曲第2番を挙げていた。
このどちらの作品も4楽章構成で、第3楽章から第4楽章は続けて演奏される。
が、私が知っている範疇では必ずこの2つの楽章はトラック分けされている。ここで一瞬音が途切れたり、高速しゃっくりのようなヒョイックという音が入ると、イラっとしてしまうのは人類として当然だろう。
自然体だと「運命」もこう響く
そのベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の交響曲第5番ハ短調Op.67「運命(Schicksal)」(1807-08)。
「運命」という名はあくまで通称。
運命と闘い、それを克服して勝利へと至るという、たいそう大変な音楽なのである(と思われてきた)。
第4楽章が“勝利の音楽”であることは確か。その勝利の前にたとえ一瞬でも沈黙があったら、勝利の喜びムードに水を差された気分になってしまう。
このところ私の気持ちをすっかりとらえているモントゥーの演奏を。
この演奏を最初に聴いたときは、中学生の時にこの曲を初めて聴いたときのことを思い出した。
あのころの演奏スタイル-ロマン派的-では決してないのだが、かつておじいちゃんの家に遊びに行ったときに感じたような懐かしい“匂い”がしたのである。
モントゥーは、こんなに苦悩してるんだぜとか、苦悩を克服したんだぜというようなことを押しつけてこない。
スナックの厚化粧のオバハン従業員が「アタシもなんか飲んでいい?」とまったく共感を覚えないことを要求してくるような、強引なところはまったくない。
音楽が生き生きと素直に流れていく。
仰々しく構えないで、この曲を心から味わえる演奏だ。
いまさら「運命は……」という人にも、ぜひ聴いてもらいたい。
オーケストラはロンドン交響楽団。
1961年録音。デッカ。
今日は大安だ。
ドリームジャンボを買うなら今日だ!
果たしてあなたの運命は……


私たちは“厳しい”運命を、そういう作品だと聴かされつづけてきたのかもしれないです。