氷山係長の新発見
1週間前、つまり先週の木曜日、アサイチで氷山係長からメールが来た。
その内容は、不思議かつ異彩なオーラを放っている店がオープンしたのを発見してしまった、というものだった。
▲ Photo by Kooriyama
このように貴重な情報を与えてもらえることはありがたい。今後とも私の第一秘書ならぬ第一間諜(かんちょう)としての活躍が期待できる。
実は私もその店に気づいていた。その前日のことだ。
難民回避のため高かったがやむを得なく……
というのも、池中さんと疎茄課長と昼食を食べに行った際、最初の目的地である店は長蛇の列で、そこをあきらめて第2の候補の店に向かったものの、そこもそれなりに人が待っていて、「まずい。これじゃタイムアップだ。餓死してしまう」と途方に暮れかけたとき、その隣にもランチ営業をやっていて、おまけに席が空いてそうな店があって、そこにこんな店があったということに今まで気づかなかった命の恩人的存在に対する非礼を反省しつつ、中に入り、小上がりに通され、私は鶏の竜田揚げ定食を頼んだ。
ちなみに池中さんも私と同じものを頼んだが、疎茄さんは魚好きにはたまらないだろうが、私は飲み込むのも困難と予想され、仮に飲み込んでも数分後には全身にじんましんが出てきそうな、サバの刺身の醤油漬けという、私にとって初めて知る料理の定食を頼んだ。
店のなかはこぎれいでテーブル席がいくつかあり、その奥には私たちも通された半個室の小上りがたくさんある。
落ち着いて食事を待ち、そしてゆったりとした雰囲気のなか食事を食べ、食べたあとも追い立てられるような思いもせず、いつもの殺伐としたランチタイムとは趣の違う時を過ごせた。
私たちが入店したときはあまり客がいなかったものの、そのあとは私の匂いに引き寄せられるようにそれなりに客が入ってきた。
が、その吸引力がいまひとつなのは、私のフレグランスが加齢とともに弱まってきているせいではなく、価格設定に問題があるためだろう。
何種類かある日替わり定食メニューが示し合わせたようにすべて1000円なのである。
このなかに1つくらい、本日のスペシャル日替わりとして800円ぐらいのものがあってもいいと思うのだが、よりどりみどりオール1000円。
この日の私は財布を持たずに1000円札を1枚、無造作にポケットに入れて外に出たので、もしこれが税別価格なら80円足りないところだった。税込1000円だったおかげで、疎茄課長に「一生のお願いだから無利子で80円貸してくれ」と懇願せずに済んだ。
済んだが、元はといえば、1000円という価格設定に問題がある。もしそうでなければ、飢えに我慢できずにそこに入ってしまった私に問題がある。
竜田揚げは美味しかった。が、ちょっとしょっぱかった。
豚のように豚を食べて苦しんだ思い出
竜田揚げといえば、大学生のとき学食のAランチにしばしば登場した豚の竜田揚げは美味しかった。
いま思えば妙に黒っぽく、油もベタベタしていたがとにかく美味しく感じた。
私なんぞ、いちど弁当を持って行ってそれを食べたのに、竜田揚げの日だと知ってAランチも食べてしまい、帰りの地下鉄の中で、倒れるのではないかと思うほど吐き気を我慢したことがある。
ところでこの店は夜はやや高級な和食の店になると想定された。
店の名は、Aランチ時代の大学で農場の管理をしていた主任のおじさんの名前-たとえば源次郎みたいな-と同じだった(私は農学部出身なのだ)。
ネオ炉端って?
源次郎(仮称)で食事を終えた帰り道の途中にあったのである。氷山係長が教えてくれた店が。
食事のあと私たちはその前まで行ってみた。昼は営業していないが、いくらや室蘭やきとりの写真が載った看板が外に立っていた。
室蘭やきとりというのは、鶏ではなく、そして長ネギではなく、豚肉とタマネギの串焼きである。
他にどんなメニューがあるのかわからないし、室蘭が道南地域に該当するのかどうか極めて微妙なところだが(私の感覚だと道南は渡島・檜山地方だ。でも道南バスの本社は室蘭にある)、北海道人としてはひじょうに気になるところ。
私は心を込めて、「今度、お手手つないで一緒に行きましょうね」と、氷山係長に返信した次第である。
道南といえば、何年か前に東京の日本橋の“北海道八雲町”という居酒屋に飛び込みで入ったことがある。
なかなかにぎわっていたが、果たしてあのとき何を食べたのか、2軒目に立ち寄った店ゆえに全然覚えていない。
このたび名古屋にオープンしたこの店、活イカの透き通ったコリコリした刺身なんかがあるといいなぁ………って思いながら、昨日の夜、行ってみた。
その報告は後日。
初めての生尺はこの日でした
北海道は道南の函館出身の作曲家、廣瀬量平(Hirose,Ryohei 1930-2008)の曲を。
尺八と管弦楽のための協奏曲(1976)。
1976年の尾高賞受賞作品で、私は1977年4月の札響定期でこの曲を聴いている。
作曲の翌年に早くも岩城宏之が取り上げたのだが、もちろん私はこのとき初めて聴いた。
いや、生の尺八自体、初めての経験だった。←なにか表現方法に問題でも?
独奏は山本邦山。
この日のプログラムに、廣瀬は作品について次のようにとても詳しく書いてくれている。
私がはじめて尺八という楽器のために作曲したのは15年前の1962年芸術大学卒業直後のことであった。この楽器に対する私の最初の関心は、それが人間の声に似ていることであった。特に日本人の声の出し方に近いと私は思った。我々が微分音程と呼ぶ半音よりももっと細かい音程。グリッサンドと呼ぶにはあまりに繊細な音高の変化とその独特な陰影。深く幽玄な弱音と、貫くように鋭い強音、そして時には楽音という範囲をはるかに越えた烈しい息の音など、それはまさに日本人の発声法の集大成であると思った。声明(しょうみょう)や謡曲、平曲から浄瑠璃、義太夫などの語り物はいうに及ばず、我々の日常的な話し言葉、泣き声、忍ぶ声、呟き、叫び声、そして当然のことながら朗々と歌う声もこの楽器の中に集約されている。
それどころか、尺八は千鳥の啼き声や松籟にいたるまで自然の音をも連想させたりする。もともと大ていの楽器は人間の声や鳥の声などを模するものであるけれど、この楽器は特にそうである。
それ故に私はこの曲をまるで声楽曲のように発想した、と言ったら言い過ぎだろうか。
現代音楽は歌わない、などとよくいわれるが、私はこの曲の中で、様々な歌を歌うことが出来たと思う。
もっともこのことは作曲中考えていたことではなく、今度の受賞後気づいたのであるが。
私は作曲中、そういう尺八と、西洋音楽たるオーケストラを如何に交感させようかと努めていたように思う。異質なものたちを対置させるだけではなく、両者が矛盾や対立を越えて交感し、音の綾となり、無数の歌や、呟きや嘆きや、叫びや祈りを包みながら、より広い色彩的世界へと昇華してゆく過程を描きたかった。
全曲一つの楽章から成り、切れ目なく演奏される。最初は打楽器の弱音からはじまり、楽音といえないような音たちが、少しずつ色彩を加えて拡がり尺八のソロを導く。様々な音の虹がソロを彩る。弦の群が中空に浮かぶ雲のようにそれを包む。やがて金管楽器群が厳粛に現れ、金属打楽器たちが煌めく……という風に曲は進行する。
様々な自然の物音、そして数々の対話、葛藤……。やがて幾多の紆余曲折を経て、頂点の修羅に至る。それが静まって尺八の独奏。これは従来の協奏曲のカデンツァにあたるが、その後に、独奏とオーケストラは唱和しながら、次第に遠ざかる。打楽器群がそれを彩り、弦は高音へ静かに消えゆく。この終結の部分で私は荘重できらびやかな、一種の宗教的な静けさのようなものを考えていた。
西洋音楽の協奏曲のように、一つの主題を独奏とオーケストラが交互に奏するなどということは一切ない。
私が持っているCDは、山本邦山の尺八、外山雄三指揮NHK交響楽団による1984年ライヴ録音(キング)。
つまり私は魚不足ってことだ
今さらながらさして重要でない“私の昼食”レポートだが、先週の月曜は、すでに報告したように錦城に行き担担麺を食べ、火曜日はFANNYに行ってヘルシー弁当を食べた。
水曜日は源次郎でちょいと奮発し、木曜日は過去に一度だけ夜に行ったことのある居酒屋に行って“おろしロースカツ定食”を食べた。ここの定食は手作り感がしっかりと伝わってきて、しかも800円。源次郎と比べると、行司が差し違えるわけがないくらい、こちらに軍配が上がる。
金曜日は、これまた夜になると地酒と焼酎を売りにしている(らしい)店に行った。
池中さんが「ラーメンといなり寿司というちょっと変わった組み合わせを出す店があるので行ってみましょう」というので、「喜んで!」とそこに行こうとしたが、途中にこの“老松”(仮称)という店があった。
店の前の黒板には焼魚定食の存在が書かれていて、たしか池中さんはこのところ焼魚を欲していたことを思い出し、目的地を変更し、この初めての店に入った。
日替わり(この日は豚の生姜焼き)が700円、他の定食(焼魚定食とハンバーグ定食とから揚げ定食)は800円。
ここもコストパフォーマンスは高い。
池中さんは焼魚定食を頼み、私と疎茄課長が日替わりを頼んだが、店のお姉さんが困った顔をして「日替わり、残り1つになっちゃったんです」というので、疎茄課長の人間性を見極めようと私は黙っていたところ、彼はハンバーグにした。彼が譲り合い精神の持ち主であることがわかった。
私が食べた生姜焼き定食はボリュームもあっていいのだが、かなりしょっぱかったのと、生姜焼きというよりは焼き煮みたいな感じだった。

