20150510Viola  立つべきところではない

 私の一日の始まりは道新スポーツではなく、通勤電車の中にいかに体を入れるかから事実上スタートする。


 このあいだの朝のことである。


 この日もぎゅうぎゅうに込んだ地下鉄に乗り込んだ。
 どうせぎゅうぎゅうなら牛々と牛がたくさん乗ってりゃ面白いのにとも思ったが、そんななかに1人乗り込むのはやっぱりいやだ。

 とにかく、このときはいつも以上に込んでいた。なぜかダイヤが乱れていたせいである。


 いつもなら列の自分の後ろにいる、私に続いて乗り込んでくる人たちからの押しくらまんじゅうの影響をわずかでも軽減回避するためにできるだけ左右のどちらかに身をずらすようにしているのだが、この日は私のあとに続く者どもがストレートの直球攻めように私にその余裕を与えず、バトルすることも泣きわめくこともできないまま身をまかすしかなかった。

 つまり左右どちらかの通路側へ逃げ込むことができず、張り手攻撃を受ける力士のようにそのまま直線的に押し込まれた。そして蝋人形のようにどうにも身動きができないまま、車体の両側にあるドアの中間地点に立つことになった。車内も暑く、私が蝋人形だったら、人相が変わってしまうところだった。

 もはや立っていても自分を制御することが不可能だったが、あまりにも込んでいたので、電車の減速や加速、停止や発進のときもよろけて見ず知らずのおじさんに寄りかかってしまい、こいつ男狙いの痴漢かと思われるようなことはなかったが、貧乏くじを引いたようなこの最悪な位置には手すりもつり革もないわけで、そしてまた停車するたびに、たとえ進行方向に対して左側のドアが開こうが右側のドアが開こうが、つまりどっちのドアが開こうが、とにかく駅に着くたびに降りる人には邪魔者扱いされ、乗る人には暴力的に押されるわけで、場所としては洗濯槽に匹敵するものがある。

 自分が下りる2つ前の駅は進行方向に向かって左側のドアが開く。つまり対面式(相対式)ホームという駅の構造だ。

 そこでも、私が駅員に代わって「無理なご乗車はおやめください。次の電車、すぐにまいります」と言いたいくらい無理に乗り込んでくる人がいてそれはしょうがないのだが、相手も必死だから私の抵抗むなしく、進行方向に向かって右側のドアの方にさらに押し込まれた。

 その次の駅の自分が下りる駅の1つ前の駅は島式ホーム、つまり進行方向に向かって右側のドアが開く。

 で、前の駅で望んでもいないのにそちら寄りに体をずらされた私は、降りたくもないのに降りる人の流れによってホームに押し出された。急流に放り込まれた木の葉の気持ちがよくわかった。

 降りる人が済んだらまた乗り込むのが世の常ではあるが、このときの私はもうすっかり疲れ果て、乗り込むのがめんどうになった。
 なので、そのまま降りてしまう決意をした。

 疲弊していたがさまようようなことなく、力を振り絞って1駅分をひたすら会社をめざし歩みを進めたのだった。

 

BrahmsPcon1Ax  説明がくどすぎたので ↑、後半はあっさりと ↓
 ブラームス(Johaness Brahms 1833-97 ドイツ)の歌曲「われらはさまよい歩いた(Wir wandelten, wir zwei zusammen)」。

 「4つのリート(4 Lieder)」Op.96(1884)の第2曲で、詞はG.F.ダウマー。

 表記が不親切な、バトルのソプラノ、レヴァインのピアノによる演奏を。

 1983年録音。ソニークラシカル。


  写真はゴールデンウィーク中に買って庭に植えたビオラ。
 この記事の内容とは全く関係ない。
 が、最初に目に飛び込んでくる写真がレヴァインじゃなくてこっちの方がいいに違いないと思って載せてみた。