誘われなかったら家でもやし炒めにしたはず……
 金曜日の夕方。

 仕事を終え、というかそもそも仕事をしていたのかどうか自分でも自信がないが、公式な終業のチャイムが鳴ったので私は帰る支度をした。

 支度といっても鞄のファスナーを締めるくらいである。
 雨もいまは止んでいる。帰るには絶好の気象状況だ。

 そのとき氷山係長(仮名)が私のところに寄って来た。
 氷山係長は伏草課長の部下である。
 ついでに言うと住んでいる場所も私のマンションの近くだ。

 「今日、これから何か予定ありますか?」
 「ない」と私はもったいぶらずに潔く答えた。

 「じゃあ、ちょいと一杯やっていきませんか?」
 「じゃあ、ちょいと一杯やっていくか」

 と、まるで昭和中期のおっさんサラリーマンのようなやりとりをし、合意し、行動に移すことになった。
 ほかに2人を巻き添えにした。

 中華料理店に行った。
 初めて行く店だったが、係長が推すだけあって美味しかった。
 特に青椒肉絲と炒飯と担担麺が気に入った。
 いまになって思えば回鍋肉も頼んでみるべきだった。たくさん飲んでいたから(なにが「ちょっと一杯」だ。まっ、エプリールフールだったしな)、もうおなかもいっぱいだったのだ。でも食べてみればよかった。いつもあとになって反省点が露わになる。

  意外と眼中にないようで……
 氷山係長は私の住むマンションの近くに住んでいると書いたが、伏草課長も私の住居からすっごく遠くないところに住んでいる。
 ということは、背の高い建造物は共通で目にできる可能性がある。

 こちらに住んでからずっと気になっていた鉄塔について、先日伏草課長に尋ねてみた。

 「あっちの方向にあるテレビ塔のようなものの正体って知ってる?」

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 尋ねたのは支社にいたときだったので、もちろんただ「あっちの方向」と言ったわけではない。それなら頭の調子が悪い人と一緒だ。敵艦隊の位置情報を緯度経度で伝えるほど細かに言ったわけではないが、それなりの方向は伝えた。

 伏草課長は笑顔で答えた。彼はいつでも温厚で優しいのだ。

 「そんなのありましたっけ?」

 そして氷山係長の方を向き、「知ってるか?」と質問をパスした。

 氷山係長はこのあたり一帯に詳しい。
 帰って来た答えは、「そんなのありましたっけ?」であった。
 この上司と部下は一心同体の関係にあるようだ。何よりである。

 その塔は赤と白のもので、展望階や時計がついていれば札幌テレビ塔にそっくりだ。って、それだけ違えばそっくりじゃないんだけど。
 あまりに高いので妻は最初、それが名古屋のテレビ塔だと勘違いしたくらいだ。

 頼りにしていた2人が知らなかったことに私は落胆した。

 ところがその数日後、氷山係長が「あれは中京テレビのアンテナです」と教えてくれた。
 調べてくれたのだ。

 ありがとう。これで私は安心して眠ることができる。

Pezel  あんな高い塔の上では吹けません
 ペーツェル(Johann Christoph Pezel 1639-94 ドイツ)の「5声の吹奏楽(Funffstimmigte blasende Music)」(1685刊)。全76曲からなる2本のツィンクと3本のトロンボーンのための曲集。

 ここにも書いているように、これらの曲は時報として塔の上から吹奏されたものである。

 あぁ、でもあのLong long agoの3つの曲にいまだに出会ていない私。

 というのも、この曲集の全曲録音がなく、いくつかを取り上げた録音にはおもしろいくらいその3曲が含まれていないからである。
 まだ未聴の録音ももちろんある。が、オムニバス盤のなかにペーツェルの1~2分ほどの曲1曲だけが入っているのを買うのは大いなる賭けだし、もし当たりだったとしても残り2曲とは離れ離れになったままだ。

 どなたか5人で力をあわせて全76曲を録音してくれまいか。

 あるいは、あの3曲をNHK-FMで聴いたときにはただ単に「塔の音楽」と言っていた。
 とすると、もしかするとペーツェルの他の作品の可能性も捨てきれない。同じ金管五重奏で40曲からなる「ライプツィヒの午前10時の音楽」が怪しい。

 ほんとに、あの曲好きなんです、アタシ……

 今日のところは前回私に大いなる期待を持たせたあげく失意のどん底に陥れたエドワード金管五重奏団のCDを。16曲の抜粋。
 いえ、演奏も録音も全然いいんです。私の求めていたモノがなかっただけなんです。

 2007年録音。フンガロトン。

 中京、中華とコトを運んできた氷山係長が、次に“中”にまつわるどんなカードを出してくるか楽しみである。
 なお、中年は禁止ワードとしたい。

 ところでけさは激しい雨が降っている。
 夜中から降りだした雨が窓を叩く音は意外とうるさく(またこのマンションは風が強い日はけっこうヒューヒューという風切音がする)、よく眠れなかった。

 こんな雨なら地下鉄の駅に着くまでにも足元はけっこう濡れてしまう。
 そして湿気を多く含み、また濡れた傘を持っている人たちがあのギューギュー詰めの電車に収まっていることを考えると、うんざりを超え、恐ろしいものがある。

 とても早い時間に出勤してしまおう。