0.6メートル?そんな余裕ありません
引越すると当然ステレオ装置(というのがもはや死語なのかどうかわからないが、かといって再生装置と書くと死んだものを生き返らせるような気色の悪さが付きまとうし、つまりCDを聴くための電気機器類一式であり、内訳明細を書くと、プリメインアンプ、CDプレーヤー、スピーカー、テューナーである)のセッティングをする。
この作業は優先順位の高いものだ。少なくともフライパンの収納場所を決める前にやっておきたい。
特に気を使うのはスピーカーケーブルのプラスとマイナスの結線ミスがないようにするのと、スピーカーの置き場所。つまり後ろの壁との距離である。
しかし私が使っているインフィニティのスピーカーは海外の大邸宅を想定しているのか、背面は壁から60cm以上離せとマニュアルに書いてある。スピーカー背面のダクトから出る低音を理想的に響かせるためだとはわかるが、そんな置き方をすると、聴く場所がなくなる。いや、立ってなら聴けるが駅のホームのそば屋じゃあるまいしなんでそんなことをせにゃならのだというのが率直な思いである。
仮にその通り置いたとして、じゃあそのスペースはどうするんだということになる。
もちろん何も置かずに空けておかなければならないのだが、日本の狭い住宅事情である。スピーカーの裏に古新聞を置いておこうとか、収集日までのペットボトルと空き缶の仮置き場にせざるを得ないなど、苦渋の決断をしなければならなくなる。
ということで、30cm空けるのがやっとだった。いや、ごめん。見栄を張ってしまった。
24cm壁から話すのが精いっぱいだった。
なんて締まりのない腹、じゃなくて低音
こちらに来て最初に聴いた伊福部昭のCDは山田一雄/新星日響による「ラウダ・コンチェルタータ」の初演時ライヴ。
全体的には録音が良いとは言えないのだが、大太鼓の音はなかなか良く録れているのである。
これをかけてみると、ありゃぁ~……ものすごく大太鼓の音がボンつくのである。いわば締まらない低音が過多
な音。
やはりスピーカーと壁の距離が近すぎるせいだろうか?
良い音を優先するには立ち聴きを選択せざるを得ないだろうか?
でも、待てよ。
冷静に考えると、帯広のときもこの程度の間隔しかとれなかった。
そこでピンときた。
ピンときたのは当たっていた。
ちょっぴりうれしかった。
ラウドネスのスイッチがONになっていたのである。
箱に入れるとき、あるいは箱から出すときに誤って押してしまったらしい。
誰だまったく。って、私です。犯人は。
ラウドネスをOFFにすると、一応は良い音、聴きなれたサウンドとなった。
キレの良い音に戻った!
そのあとは、環境が変わったときにいつも聴くショルティ/シカゴ響によるマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第6番イ短調「悲劇的(Tragische)」(1903-04/改訂1906,その後たびたび管弦楽配置を変更)を試す(作品については 、こちらの「あなたは2度で満足?」をご覧いただければ役に立つような気がする)。
私にとってのオーディオ・チェック・ディスクである。
う~ん、冒頭の引き締まったコントラバスの重低音、キレのよいティンパニ。
いまから45年以上前の録音とは思えない。
そして、このテストによってステレオ装置の異常はなしと判断したのであった。
1970年録音。デッカ。
このCDのジャケットの絵にもクモの巣が……
ちょっと嫌なんです、実は。
なお、ちなみに申し添えておくと、ラウドネスというのは、人間の耳が小音量時には高音域と低音域が特に弱く感じるためにそれを補う機能。ONにすると小音量時には高音と低音が増強される。
ただし音楽作品というのは強い音弱い音が目まぐるしく入れ替わる。ということで、このスイッチを使うと変に低音が強調されてしまう、というのが個人的な思いである。
ラジカセで聴いていたときには入れっぱなしにしてたんだけどね……
言われてみれば、ラジカセというか、CDラジカセ(カセは最近ついてないけど)にはラウドネスってなくなりましたね。単品のアンプにはまだありますけど。