
一応植物好きな私としては、引越してきたマンションに何か一鉢置きたいと考えていた。
思い起こせば、大阪に転勤したときは観葉植物のパキラの鉢を買った。
それは次の勤務地となった東京にも持って行った。
東京の部屋でもパキラは葉を艶やかに輝かせていた。あんなに日当たりが悪かったのにたいした根性である。
その後、東京から札幌に転勤したとき、それは冬のことで、輸送中のとっても寒いJRコンテナに二晩積み込まれたままだったのでどうかなと思ったが、そいつは元気な姿だった。
つまり凍死
しかしその翌朝、こんなことがあるのかと驚いたのだが、一晩のうちに緑の葉は気持ち悪い茶色に変わり、絶命した。冷凍状態から解凍されて瞬時に腐ってしまったかのように。
帯広のときはご存知のように何度もオベスムを買ったが、なぜかことごとくべにょべにょに腐って死んだ。
この地で買ってまだ元気なのはアロエの不夜城だけだ。
バラも何株か買ったが、それは自宅の庭に植えるためでマンションで育てるのが目的ではない。そのバラたちもいくつかはなぜか死んでしまった。
年寄りの家の窓辺にありがちな風景
自宅にはその不夜城や、もともと育てていたアロエの怒帝王にディコトマ、クジャクサボテンにシャコバサボテンがある。それは部屋の窓際で、子供が小さいときに買ったプーさんもどきのクマの絵が描かれたミニテーブルの上に置かれている。
これが非常に邪魔である。
カーテンをかけるのに確実に障害となる。
こちらに来て何か観葉植物を買おうと思ったが、過去の死なせた悲劇(私が買って持ち帰ることが悲劇の序奏であると言えなくもない)や、年寄りの家にありがちな窓際に置かれた実際年寄りの家っぽい雰囲気を醸し出している鉢のことを思い、妻はやめたほうがいいと言う。
確かに枯れてしまわない限り、いつか自宅に戻った時にはまた鉢が増えることになる。もう、プーさんもどきの絵が描かれたテーブルの上も満杯である。
加えて、私は好きだが、サボテンや多肉植物というものは不気味に感じる人にはとことん魅力のない生物だ。だから妻の意見にはうなずける部分が多大なほど多い。
しかし、やはり何か鉢が欲しい。
結局、小さなテーブルヤシを買った。あまりにも貧弱だったのでこれなら邪魔にならないと思ったのだ。
でも、順調に育ってしまったら、理論的には少なくとも私の背の高さぐらいになってしまう。順調に育ってしまわないことを願いながら、適度にすこやかな成長を祈っている。
油を搾る気はないが……
が、これで私の気持ちは収まらなかった。
通勤の時に通る、マンションから駅までの道の途中に花屋があって、そこにオリーヴ(オリーブ)の木が売られていたのである。
たいへんに興味を持ってしまった。
そして2週間考えた末に買ってしまった。
これはすでにマンションの部屋のカーテンを開け閉めするのにちょっと邪魔になってしまっている。
そんなわけで、ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897 ドイツ)の「悲劇的序曲(Tragische Ouverture)」Op.81(1880-81)。

今日は往年の名演と言われている、そしてなんとなく語感がオリーヴを連想させなくもないとも言えなくもないとは言い切れないセル/クリーヴランド管弦楽団の演奏を。
1966年録音。ソニークラシカル。
オリーヴといえばポパイ。
ポパイといえばホウレンソウ。
ホウレンソウといえばポパイ。
ポパイといえばオリーヴ。
……ってなんのことやらさっぱりわからんって世代の人が多くなってんだろうな、いまや。
このあたりは“オムニバス”のCDコーナーです。