僕は思うんだけど、名古屋という場所の特殊性は、そこが押しも押されぬ大都市でありながら、どこかしら異界に直結しているような呪術性をまだ失っていまいところにあるんじゃないだろうか。で、その「異界」とは何かっていうと、結局のところ僕ら(つまり名古屋市民のみならず普遍的な日本人である僕ら)自身の内部にある古典的異界=暗闇なんですね。……
……名古屋という街には、何故かそういう暗がり部分が今でもずるずると残っている。これはもう「魔都」って呼んでもおかしくないんじゃないかと感じるわけです。どうしてそんな事態が生じたかっていうと、思うんだけど、これまで名古屋に全国レベルでのマスメディア的な注目が集まることがなかったからじゃないだろうか。つまり名古屋はこれだけの大都市でありながら、実際的には情報上のエアポケットみたいなエリアになってしまった。……
で、そういう孤立進化の状態がもっとも顕著にあらわれているサンプルが、名古屋の食べ物なんですね。名古屋には名古屋でしか食べられないっていう食べ物がいくつもあって、名古屋市民に深く愛されていて、おいしいものはもちろんそれなりにおいしいんだけど、僕ら非名古屋人にとっては、どれを食べても「なんか変だ」というかすかな違和感がつきまとうわけです。「なんかがずれているんだよな」と感じる。……
……ところがしばらくしていったんその歪みに馴れてしまうと、今度はもう一生そこから抜けられないんじゃないかという、妖しい中毒性みたいなものが、名古屋の食にはあるわけです。……
以上は村上春樹他による「東京するめクラブ 地球のはぐれ方」(文春文庫)に書かれている文である。
まだまだ私には名古屋独自の食べ物について分析的に語るほどの経験をしていないし、果たしてその歪みとやらに馴れるのかどうかわからないが、まずはこちらに来てからの食事(外食)についての第一報。
このなかには名古屋でしか食べられない物、じゃない物ももちろんある。
セントレア空港のきしめん
これはすでにご報告したとおりなわけで、衝撃はちっとも受けなかった。
平べったいうどんとしか思えなかった。
つまり「うぉぉぉぉぉぉ~っ!こ、こ、これがキシメンかっ!」という高揚感ゼロ。ふつうにおいしいんだけどね。考えてみれば名古屋の人もきしめんについてはほとんど言及しない(ような気がする)。
が、名古屋の人が誇る(であろう)味噌カツ。この店で同時に食べた味噌カツは私の舌と相性が良くなかった。あの甘さが苦手だ。
大成園の焼肉
この焼肉店が有名なのかどうかは知らないが、こぎれいである接客も丁寧。そして味も良い。安心して、良い意味でのふつうの焼肉が食べられる。値段は決して安くはないが、かといってばか高くもない。
世界の山ちゃん
名古屋の街ではあちこちで嫌というほど見かける。札幌のすすきの近くにもあるが私は過去一度しか行ったことがない。
こちらに来ても味は札幌と同じ(って、当たり前か)。コショウのお味が涙をそそるわ……
カレーライスがあると、テーブルにおかれたチラシにも店内に貼られたポスターにも書いてあったので(自称“まさかのカレー”だという)、〆にちょっこと盛りを注文しようとしたら、店員さんがカタコトのニッポン語で「キョウダメ、ナイ」という。よく見ると火曜日限定とある。私が行ったのは木曜日。
紛らわしいから火曜日以外はテーブルにカレーのちらしを置かないで欲しい。
いや、いたらないは私なんだきっと。ちゃんと読まない私が一方的に悪いんだ、たぶん。
鳥貴族
焼鳥居酒屋。手羽攻めよりもこちらの方が品揃え的には好きである(もちろん“山ちゃん”なんかにも手羽先以外のメニューもあるけど)。たぶん妻なら山ちゃんよりこちらを好むと思われる。
ただし店内はあまり貴族的ではない雰囲気。内装が金ぴかであるとか豪華シャンデリアによる間接照明にこだわりましたみたいなことを期待をしてはいけない。
おそらく店名は貴族のようなお育ちの鳥を提供しているということなのだろう(と勝手に無理やり解釈しよう)。価格はどれも1品280円とわかりやすい。
〆に食べたとり白湯めん(ちょうどいいボリューム)の味が、酔っぱらった舌に美味しく広がる。
某中華料理店
昼に行ったが、担担麺セット(担担麺+小ライス)が780円。単純比較は強引すぎるが珍宝楼より200円安い。
しかし驚いたのは価格じゃなくて出てくる速さ。駅のホームの立ち食いそばでもここまで速くないというくらいのギガ速で出てきた。なお、3人で行ったのだが麻婆豆腐が1皿ついてきた。麻婆については人数分1皿盛りなのだ。
注文の受け方も「あん?セット?3つぅ~!?ワカッタ!」とマゾならたまらない聞き方。そして捨てぜりふのような確認のしかた。運ばれてきた料理の置き方も、テーブルの表面を微細に摩耗させるようなたくましいもの。店内には粗雑な店員の言葉と、丼や皿を置くゴンっという音がこだまする。
茹で上がりを速くするためかどうかは定かでないが、麺は細め。しかし速さゆえか私の麺は一部ほぐれておらず、」数本が束になっていた。
味はまあまあ。深みがあると言えない。麺の量は少なめ。
食べ終わると、それを監視していたかのように店員がやって来て即食器を下げる。そのあとは入れ替わり立ち替わりテーブルの周辺にスクランブル出動のようにやって来て、「アリガトゴザイマシタ」「アリガトゴザイマシタ」「アリガトゴザイマシタ」とひじょうに心がこもっていない感謝の言葉を機械的に繰返す。あんたたちいつまで座ってんのよという無言(ではないが)の圧力だ。まあ、客の回転が勝負だからね……
あなたたちに残された時間はないと、時間の大切さを身をもってわからせてくれるランチタイムならぬランチモーメントを過ごせる店だった。
山ちゃんと中華料理屋と鳥貴族に共通して感じたのは、全然落ち着いた感じがしないということ。
テーブルと椅子のスペースが狭いのと、隣の席との距離が近いためだろう(中華料理屋は違う次元の事情の方が強いが)。
えびすや本店
そば屋。昼に行った。ここは美味しい。うどんやきしめんもあるようだが、名古屋でこういうそばが食べられるとは思わなかった。
ここはいい!
某居酒屋
地元の人が頼んだどて煮をちょいと食べてみた。その人曰く、どて煮も家によって、また店によって甘さが強かったりそうでなかったりとけっこう違いがあるらしい。この店のどて煮は甘め。その地元民もこれは自分の好みではないと言っていたが、私に至っては言うまでもない。やはり甘い味噌味は苦手だ。そしてあのなんともざらつきた感じも私にはまだまだ相当な歪みに感じてしまうのである。
火曜日じゃなかったけど……
グローフェ(Ferde Grofe 1892-1972 アメリカ)の組曲「ミシシッピ(Mississippi)」(1925)。
グローフェといえば「グランド・キャニオン」が有名だが、彼は他にもアメリカの観光地を題材にした組曲を書いている。「ナイヤガラの滝」、「ハドソン川」、「デス・ヴァレー」etc……
組曲「ミシシッピ」は次の4曲からなる。
1. 河の父(Father of the Waters)
2. ハックルベリー・フィン(Huckleberry Finn)
3. オールド・クリオール・デイズ(Old Creole Days)
4. マルディ・グラ(懺悔火曜日)(Mardi Gras)
この作品は決して録音点数が多くなく、あまり耳にする機会がないかもしれない。
それでも少なからずの人がこの曲に含まれるメロディーを知っているはずである。
というのも、ここにも書いたように、第2曲と第4曲のメロディーがかつて放送されていた“アメリカ横断ウルトラクイズ”で使われていたからだ。
再びストロンバーグ/オーンマス交響楽団の演奏で。
1998年録音。ナクソス。